ほんのり狂気なふりして全く日常的な

今週のお題 「わたしのモチベーションを上げるもの」

 

こんにちは。鈴木夢眠です。遅れてお題について書いてますが、モチベーションを上げるものなど存在するんでしょうか?

お題意図としては、個人なりの上げ方っていうのを紹介してほしいのでしょうか。まあ、そうだと仮定するなら、何かないかなと思い返しても見つかる感じはないです。逆にモチベーションを下げてから、何かに取り組む癖があるからです。高いモチベーションで物事を行うと、舞い上がっているような感じがして、くだらないミスが多くなったりしてしまうことが多いです。そのため、あえて気持ちが盛り上がらないことを想定したり、そういうような音楽を聞いて、盛り下げてから作業に取り組みます。

それはどういう想定かというと、例えば、明日大地震が来たらどうするだとか、乗っていたバスがジャックされたらどうするとか、電車という密室の中で危険物質をばらまかれたらどうするか、とか災害のようなものが多いです。自分の意思ではどうしようもない災難について想定します。

そうすることにより、日々がより尊いものになり、うかうかしていられなくなり、目の前のことに集中できます。今やらないと、永久にやる機会がなくなってしまうかも、というようなかなり後ろ向きな想定をします。それにより、モチベーションが上がったような状況になるのです。

盛り下げる音楽というのは、俗に言われる悲劇系の曲だとか、鬱憤とした雰囲気を歌っているようなものです。好んで聴くという人は一定数いそうなジャンルの曲を楽しみます。何かを葬送している気持ちになりながら、作業に取り組んでます。課題に取り組むというのは、生を死にするような感じがするのです。進んでいない課題は生きていて、終わった課題というのは死んでいる感じです。それに見合った曲を流すとしたらそれは暗い曲になり、生きている何かを殺し、それを見送る形になってしまいます。だから、私には最適なんです。

これでは何の参考にもなりません。普遍性を持たせることができません。電子の海に流すとするならば、ある程度の普遍性を持たせなければいけない。鈴木夢眠のオリジナルではなく、どこかにありそうな話。どうしようか。本当は、こんな思考の最中を見せるのも嫌なんです。細部を覗かれているような気がするからです。こんな記事きっかけがなければ書かないのです。きっかけというのは何だったんでしょう。気が変わった、なんていえば簡単だけれども、そういうことではないです。ただ、物語の鮮度が落ちる前に美しい姿のままに文字に起こしたかっただけです。これは、一つ前の記事と繋がっていると言えます。美しい存在になれないと分かってしまった以上、文字世界で装飾するしかない。それも悪あがきなのかもしれないが、それしかまともな手立てが残されていないとしたら、それに頼るしかない。それだけのことです。

 

さて、こんな遠回りに書かなくても、本題には一言で答えられる問だったのです。モチベーションを上げる方法とは、死を想定することだと思います。それは自己の死ではなく、概念的な死も含まれているのです。

野辺送り

物語の海は沈めたまま帰って来なかった。

 

平成の物語は平成のうちに終わらせるべきであり、それを終わらせるためには口を封じて、それをパフォーマンスにすれば面白い。

そういう考えが支持された。物語を証言するものは永久に消え去ってしまった。消せば全て終わり、そんなバカな話があるか。人々の記憶には残り続けるだろう。忘れようとしない限りは。しかし、多くの人は忘れ去っていく。定期的に思い出そうとしない限りは。そういうものだ、そういうものだ、反芻させてみる。耐えられそうにないが、そういうものだと考え込めば良い。


僕は野辺送りを頻繁に行っているような気がする。普段、実質上の死者についてしか言及をしないからだ。生きているものについて、言葉を重ね合わせることはしない。卑怯かもしれないが、生者と言葉を交わすのが怖いのだ。死んだ言葉、死んだ存在であれば、反撃に合うこともない。批判されることもない。死者に二言はなく、僕は死にきれなかったものとして、怨めしく言葉を発す。


ものを書くという行為自体が、リアルからは少し遅れてしまうのだし、実質死者についてしか言及できない、という面もあるといえばあるだろう。誰かは、小説家と探偵というのは似ていると言った。なぜ似ているかというと、何か起こったことを物語として組み込み、それを提示する行為をするからだという。それなら、読者のいない、もしくは想定していない小説家と売れない探偵というのは限りなく近い存在ではないだろうか。受け取る相手がいないという点で。


僕は読者を想定していない小説家であると言われることが多い。それらの全ては生者に向けたメッセージではないからだ。生者に向けなくても、今生きている人の救いになるなるならば、生者のために文を書いていることになるということになるのではないか。そう言えてしまうが、そうとは考えたくない。少なくとも、僕は嫌である。僕は死者に対してしか、言及するつもりはないし、それを生きている人の救いにはしたくはない。救われる人は勝手に救われる。ただ、これらの文章には救いなどない。


どこかの葬式。私達は、悲しめなかった。関係ない人、遠い人物、遠い出来事、そういうわけではない。とてもとても近い存在の死。どこかが分離していて、それが現実のものに思えなかった。全てがなかったような気がした。彼のうめき声を確かに聞いたはずなのに、それはただの雑音になってしまって、とりとめのない一コマになって。嫌だ、と思ってもどんどん距離は離れていって、遠いことになって、それは失われて。とても怖いと思ったけど、逆らうことはできなかった。いつの間にか消えてしまった。


誰の音も聞きたくはない。

それが口癖だった、彼。そんな彼は、今は概念になろうとしている。人々の共通認識になれば、音はごちゃまぜになり、何もわからなくなるからって。

悲しく歪んでいった、って言ったら格好いいし、それは定型文みたいですね。そんな言葉、絶対かけてやない。ただ、ばーか、ばーかって言ってやる。それの方が彼にふさわしい。彼は捻くれてるだけだ、何にも格好良くなんてない。

 

遊戯

やっぱり美しすぎた。物語は傷に、海に、そして君の笑顔に還っていった。


■■との一件も勝手に解決したように見えて、何も終わってないのかもしれない。天井に気付かず、薪をくべる。そんな日々が広がって、静かに横たわっていた。


蟹は多面体になっていた。気付かないうちに話は変質していた。物語の設定として愛を叫ぶと、死骸を啄むハイエナがこの世の真理を語りかけてきて、わけが分からなくなり何もない場所にメモリーカードを挿した。そのメモリーカードには何もデータは入っていなかったが、何かあるようにして、電子の配列を大きな音で朗読した。


■■は名前を忘れてしまった。感情は忘れ去られていた。ケアするものと、それに依存するもの。そんなことがあったかもしれない、それはあったかもしれない未来、未来ダイブ。あったらしい朝と同じ。


冷蔵庫なんてなかった頃、冷蔵庫ではない何か。分化されたところで、要冷蔵と言われるものを持っていき、案の定腐らせてしまい、誰かの思いも腐っていった。


■■を織り上げてみたかった。■■が何だったかも忘れそうな頃、肉を切りつけた。なめらかに表面に触れ、■■は静かに吹き出した。■■は夏に背いて、脈を作り、発狂していった。


愛が感情の遺失物だとするなら、それは最適で、僕たちは、また共感することができると思った。別に、aventureの失敗とかじゃない。原色のままに美しくなれなかっただけだ。


あどけない感じを残し、羽化できるはずであった。なぜ!! 彼らは、彼女たちは、綺麗に羽化できなかったのか!!

必ずできると信じてた!!

物語は成功すると思っていた!!

そんなのは夢見るだけが楽しいだけの話だった。


灰色になるように、薪をくべて燃焼させる。煙たくなるくらいに、燃やしていく。煙の上昇スピードなら■■に追いつけるのだろうか? 夢見るだけが楽しいだけだとしたら、行為に全く意味はない。■■に追いつくことはないだろう。そもそも、それが不健全だといえば、それはそれは物語のお終いで、対象不備になってしまう。■■は薬がきまると架空の英雄伝をいつも話してくれたっけ。その時間だけは、■■は英雄で、物語の主人公で、とっても美しかった。■■と夢の中で生活できたらそれは良かったでしょうね。


鳥が屍肉を啄ばんでいる。とりわけなんの感情も湧かなかった。ただ、屍肉を啄ばんでいる姿は、世の真理を訴えているように見ることもできた。


架空の序列を作った。使う側、使われる側。対価は発生していたかもしれないし、発生していなかったかもしれない。それは捉え方の問題で、どうとでもとれてしまった。架空だからどうでもいいけど、地図を作ることをしていた、物語を進みやすくするための地図。それらも全て架空で、とっても滑稽でしたネ。

何も残っていないのに、愛おしく思ったのです。全てこれらは夢でした。

 

 

ゲーム機の色々な話

今週のお題「ゲームの思い出」

今週のお題がゲームの話だったので、これは何がなんでも書きたいと思っていた。週末から気付いてはいたのだけど、何だかんだいって木曜日、お題の変わる前の駆け込みになってしまった。

35年前の7月15日、任天堂からファミリーコンピュータが発売された。まだ生まれてもないが、初めて自分で分解したゲーム機であったり、清掃のやり甲斐があったりして、とても思い出深い。40周年までに、やりたいこともできていて、それに向かっている。それは自分好みの小型ファミコンを作ることだ。一応、構想図などはあって、できるか分からないけど、やってみたいと思っている。それは互換機にありがちな、一部ソフトが起動しないという問題を避けた機体にしたいなぁと考えていて、それなら純正の基盤をうまく、コンパクトにまとめたらいいのかなとか、試行錯誤してる。

 

ファミコンに対しての思い入れもまあまあ強いが、私にとって、最初のゲーム機というのはps2であった。ただ、その頃はあんまりゲームのことは好きではなかったし、そもそも子どもが使うには高性能すぎて、使いこなすことができなかったというオチがあるが。結局、しばらく後に売ってしまうことになるが、レトロゲームにはまり始めた頃、1番最初に買ったゲーム機でもあった。

その後、ブームにのり、DS lite(アイスブルー)がやってきて、まあそれはそれはやりこんで、その後には3DSがやってきて。(初代の値段が高かった頃の話)なぜか3DSは売らずにそのまま置いてあったけど、DS liteは壊れていたし、不要ということで売ってしまったが、最近になってピンクを買い直した。GBAのソフトをやりたかったからだ。本当は、GBAの加工品を買うのが1番良いのだが、そこまでの手持ちもなく、またDSソフトを綺麗にみたいなという気持ちもあり、購入した。

そのDS liteで、どこかの誰かが作ったデータのトモダチコレクションにハマった。知らない住人が99人いて、そのよくわからないキャラと延々とどうでもいい関わりをするのが案外楽しく、ついには2本目のトモダチコレクションを買うに至ったが、2本目は面白いデータが入っておらずつまらなかった。それはデータを消して、自分でキャラを作ってみたが、あまりハマるものでもなかった。人のデータって何で面白いんだろうか。日記を盗み見してるような感じがした。結局、買ったGBAのソフト(ロックマンゼロ)は操作が難しすぎて、途中で投げられている……。なんとかしてクリアしたい。

 

ファミコン35周年の時、自宅のファミコンは外装だけワイドハイターEXに漬け込みされていた。(コントローラーの替えゴム高すぎません?)

 

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感想(9件)

綺麗に吐き出すだけの手段は無くて

ふと物語の断片を摑まえる。特定はしない、どうせ誰かの断片の断片だろう。言語化させよう。イメージを文字に、物語に。できるだけ造形物で覆って、美しいように、それはいつも通りに。

なぜかできなかった。汚い吐瀉物にしかならない。物語とも言えない何かのシーン。作り出すことを呪われた人は呪いの中にいて。うまく分けられないゴミ。せめて分別くらいは。

創り出せばいい、何かを元に作るわけではなく、明らかに新しいシーンを追加して。そう決められていた。今も昔も。

世から取り残された感覚で。箱庭なんていう空虚な箱も消え去り。星は恒星同士の距離のように遠く、認識しあえるくらいしかできない。ただ、こちらから見えたと言って相手から必ず見えているわけでもない。イコールじゃない。

断片は綺麗に味付けされて、誰かの嗜好に合うように添加物をたっぷりと使用して、過剰なまでに包装を施す。遠い未来でも食べられるように。

1つもまともなことなど言っていない。それが嘘であり、本当でもある。どちらとも取ることができる。本当と思いたければ真実だと考えればいいし、嘘だと思うなら嘘だと思えばいい。

思い込みの力は強く、どんなことでも本当になってしまう。別に嘘がいけないなんてことはない。それを仰る人が嘘みたいな存在なのではないか。

断片はいつもみたくに輝いてはいなかった。何の色もない、灰色とか暗い色ですか? そんなことはない。強制的な色、色集めしてたことを思い出す。色は決められていて、先駆者の指示通りに色を集めていく。先駆者を通してしか、色を見ることはできない。それは洗脳か、それとも教育か。今となっては分からない。

今日は暑いですね。暑いといえば、最近の異常気象でしょうか。か細い彼女は暑さで死んでしまいました。彼女はいつのまにか死んでいたのです。明るい人物ではなかったけれども、死を引き連れているような感じではありませんでした。しかし、消えていました。僕らの知らないうちに。

小さい雫をじっと眺めていました。そこから飛び出すものが止まってもなお、愛おしく思いました。

fragmentは終わ……

 

沈めて戻れないくらいどうか走って

今週のお題「星に願いを」

 

普段は小説もどき謎エッセイ(ポエム)みたいな、まあ痛い記事を書いているのですが、たまにはお題にも触れていきたいと思います。軽いノリで読んでいただけたらなぁと。

 

公式的には「七夕」のことを書いてほしいという意図でお題を出したんでしょうが、「星に願いを」という単語を聞いて真っ先に思ったのが、同名のCoccoの曲でした。Coccoは好きな曲が多すぎて、どの曲が好きとか選べないくらい全体的に聞いているんですが、今回は「星に願いを」について触れていきたいと思います。

 

どの曲が好きか選べないなんて言う話を先ほどしましたが、結構好きなほうの曲ではあると思います。ヒトカラなら確実に選ぶでしょう。曲終盤に、

 わたしは

置き去りにされていくのだから

沈めて戻れないくらいどうか走って

 という歌詞があるんですが、その部分がすごく好きで、今回タイトルにも使わせていただきました。実際にあった事案と重ねるとなんとも言えない気持ちになるのです。まあ、理解なんてしてないんでしょうが。彼女の曲は難解なものが多いです。(抽象表現が多いですし)

 

(歌詞の考察)

「わたし」と「血飲み子ちゃん」と「あなた」がいて「わたし」は「血飲み子ちゃん」を弱いととらえているんだろうなって思います。ただ、弱いととらえていても否定しているわけではなく、ある意味では賢い存在だと思っているような気もします。「あなた」がどういう人物かがわからないですが、火を焚きつけるのが好きな感じの人なんだろうかと考えました。「わたし」のまわりには「わたし」を搾取しようとする「血飲み子ちゃん」と「あなた」がいて、「血飲み子ちゃん」については、ばかばかしいと感じることができているけれども、「あなた」については好きで好きでたまらないんだろうなあって感じがあります。

星に願って叶わなかった「わたし」の話ではあるけど、願うことを否定しているわけではないような。全ての願いが消えてしまえばいいっていう願いがあって、燃え続けてる感じです。全てが消えると暗闇になり、それで終わりだと。でも、もし「あなた」と関われるならそれに越したことはないって感じ。

 

考察を書くのって難しいですね。途中で何を書いてるのかわからなくなりつつありました。難しかったです。気が乗ったら他の曲も書いてみたいなぁと思います。

 

ooの願いは果たして叶うんでしょうか

 

Cocco - 星に願いを 【VIDEO CLIP SHORT】 - YouTube

領域の〆 forget-me-not

もし、また貴女に軍配が上がりそうというなら、存分にやればいい。

海は遠く、そのうちには干上がってしまう。傍観するだけ、っていうのは嫌だろう。私は動けず、死んでいくのをただただ感じてくしかない。

貴女は私と違って動けるのだから、海から抗って、飲み込まれず、新しい生息環境を探せばいい。私がこんなことを言わずとも、貴女は移動していくでしょう。

それなら、最後に1つわがままを。抗えないといっても、本当は貴女に言われたくなかった。誰よりも分かってなかった、全て投げていた、すでに海と同化していると思ってた。そんな愚かさを、認めてはくれまいか。言ったことを呪おうかとも思ったけど、それは違うような気がした。逃げ遅れてた、それだけのことだった。どうでもいいことを、感覚を覚えてくれたらな、それがわがままだけれども、強く願う。

歪んでる世界と物語だけど、今までそのままで、ようやく変わろうとしている。守りたかったものはお腹の中へ入っていってしまった。どうしようもなかった。貴女と利害が一致するなら、それでよいと思ってた。でも、違った。もうやり直せないの。

ー彼女は日陰者、不仕合せで、無茶苦茶にしてやりたい。

ー本当に望んでるの?

ー喧嘩できるって言ってたよ、

ーもう、今日でもいいんじゃない?

違うと主張しても、同一人物にしか見えない。領域世界でも変身することはできなかった。「責任を各自取りましょう」どこかのアナウンス。ポイント制にでもすればいいのに。楽園を守るために、取引をすれば良かった。そんな機会はもう残されてない。「頑張りましょう」気持ちの篭ってない応援。自己への厳しさも大切ですって、鞭を打つ。あの人が何かしてくれるなんて、そういう期待もできない。終わりの隙間。

主人公争いに負けた。あの人の取り柄はない、そして私も。どちらがなってもどうでも良かった。特定性は必要ない。創造主もいない、権限もない。

 

ー日陰者は日陰の中に、陽のための存在に。愛される脇役にすらなれない。

領域は壊れます、保てるだけの人材も、物語も失われてしまった。これ以上続かない。忘れないための〆の文を書く。そんな行為に意味を求めたい。よくあるパターンとして、「意味などない」って逃げる。壊すときくらいいいじゃないか、そんな些細な責任くらい持てばいい。誰も興味などない。

 

ー強姦されそうになる夢を見ました、相手は知らない人でした。逃げてはいたけど、どこかで襲われてもいいかもって思ってました。

変化を恐れるというのは、人生を信じていないからだと聞いたことがあります。本当にそうなんでしょうか? 信用するというのはどういうことなんでしょうか。彼女には分からないでしょう。彼女と手を取り合った文もこれ以上進むのは難しく、特定の誰かの文章になってしまった。誰でもない、複数の手ではなくなってしまった。こんなの領域じゃない、そのまま保っても違う。何も信じることなどしないが、私は領域を壊す。今度は意味を求め。

ー私を忘れないで

ーきっと忘れるだろう

眩暈

とても眩しかった。届かないと思っていた。永遠に息なんて続かないから、諦めてた。

いつの間にか近づいてた、眩いばかりの枠組。思わず目を背けた。1本だけ編み上がった線を見せてくれて、その魅力を伝える、ーー。抜けられない箱があった。良さはわかっても、それに縋れない。絶望なんてまだまだなどという。綺麗事を並べる。言葉に重さはないが、乗っていきたい感覚もあった。責任転嫁してしまえば、問題はない。少し物語は暗く、そういうものだという。歯向かえばいいとか甘い囁き。

言葉は軽くなんてなかった、軽く感じてただけ。重量級の選手の一撃くらいの重さはあったみたい。その重さをどこで纏ったかなんて聞きようがなく、重さだけをじわじわと味わう。ひりひりと痛む、顔面。誰にもぶたれたことなどなかったのに。感じないようにしてただけか、たまたま重さが決まったのか。

どうにでもなれと眩暈を起こす。誰のものでもなくしてしまえ、全て大きな物語、枠組みにしてしまえばいい。

柔軟性のあるゴムみたいなものなんだ、住み慣れたところに片足突っ込みながら出てこれば十分だって、綺麗な言葉で。綺麗すぎて、泥まみれな者には不似合いな気がして、乗り切れない。

泥を分解すれば、ちょっとした腹の足しにはなる。それでいいんだと思う。なれた手つきで泥を操作すればいい。泥は泥臭くなく、無味無臭な泥だし。

ただの言い訳、自然な泥を浴びたことはあったのか。**は思考を巻き込む。

自然な泥を浴びた、生々しくとても気持ち悪い。いつもの感覚戻すために、架空の泥を作る。どうにでもなれ、1つや2つ傷が増えようが変わらない。

自然に文字は増えてく。泥みたいに操作はできない。真っ直ぐに構えば、眩しくて壊れそうで、触っていけない。

彼女は眩しすぎる、まだ神々しかった。届きそうな気はするが、伸ばせるだけの気力を、適当な物語を。そんなことがあっても口癖は変わらない。また会えたらいいのになぁって。ずっと埋まらない、だけど今は違うかもしれない。