「論理的思考至上主義」

先日、私は進学ハイパー講座というものを受講した。それは、各学校から、進学意欲が高い生徒を集め、国、数、英を勉強をするという企画であった。

私は、成績優秀でもないし、進学意欲が高い訳でもない。しかし、私の友達がその講座を受講したいと言ったので、付き添い感覚でその講座を受講することとなった。

はっきりと言うと、その授業はほとんど理解することができなかった。国語に関しては、理解できるところもあったが、数、英は理解に苦しんだ。特に、数学はできる人物を眺めているような感覚に陥った。

しかし、収穫が無かったわけではない。3教科に共通の要素を見つけたのだ。
それは、「論理的思考」と「読解力」だ。
数学はとても分かりやすいと思う。問を「読解」し、「論理的」に答える。英語であっても、国語であっても基本は変わらない。
恐らく、学校の勉強というのは、その2つの要素を鍛えられるように組み込まれているのだ。

確かに、「論理的思考」と「読解力」はとても大切な要素である。「論理的思考」ができれば、ものごとの理由を説明することができる。「読解力」があれば、ものごとを飲み込むスピードが早まる。ある意味、効率的な人間になれると私は思っている。
 
しかし、本当にそれだけでいいのだろうか。
学校の教育はその2つの要素を追い求め、効率だけを考えているように感じてしまう。要領の良い人間が増えれば、社会はとても効率よくまわっていくだろう。
だが、皆が皆、効率よく動くことは不可能である。

落ちこぼれたら、どうするのであろうか?
他の考え方をしてはいけないのだろうか?
誰から見ても、計れる簡単な基準に頼り切っているだけではないだろうか?

世の人間というのは、分かりやすい要素で人を判断するというのは知っているが、これはあんまりではないか。



(追記)
このようなことを考えていると、社会に適応するのが難しくなってくる。私は、社会の波に飲まれたほうがいいのだろうか。このままだと、標準的に生き辛さを抱え続けることとなってしまいそうだ。もしくは、逸脱的な生活を送ってしまうのも1つの手ではある。社会に適応することを諦めてしまえばよいのだ。答えは出ないままである。