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「鈴木的自由論」

皆様は、「自由」を手に入れたいと思いますか? 大半の人は「自由」を追い求めているでしょう。しかし、実際に手に入れることは難しいと思います。一時的な「自由」は、簡単に手に入るのかもしれない。だけども、本質的な「自由」はどのようにして手に入れるのか。これから、しばしの間考察していきたいと思います。


例え話をしましょう。Aは「自由」を追い求めていました。何故ならAにとって、日常という毎日はひどく退屈であったからです。がんじがらめな、狭く退屈な日常。
そして、Aは行動を起こしました。専門の業者に依頼して、体に刺青を入れたのでした。
日本では、刺青はタブーとされていることが多いです。しかし、その行動が悪いとは一概には、言えません。個人の「自由」ですから。その為、あるコミニュティには受け入れられました。ただ、そのコミニュティは、ファッションとしての刺青を受け入れただけであったのですが。
しかし、Aは次第に世界の深みにはまっていき、過激な肉体改造を試みるようになってきたのでした。そして、重大な肉体的欠損を起こしてしまったのです。Aはその結果に満足していたそうですが、世間の目は冷ややかでした。誰も味方がいなくなってしまったのです。  
(これは特定の誰かを非難している訳ではありません)

つまり、この例から分かるように、「自由」とは、他者の承認なしでは成立しないのです。
本人が、「自由」になりたいと思っていました。しかし、それは周囲の人に認められなければ、「自由」になれないのてす。
今回の例は、分かりやすいように、かなり極端な話を出しましたが、身の回りで考えてみたらどうでしょうか。色々な例があると思います。

あなたは、どんな「自由」を手に入れたいと思いますか?

(追記)
これは、依頼された1000文字作文に修正を入れたものです。文字数カウントでいくと、700文字位しか書けていないので、本来なら字数不足ですが。
この作文は、ある問題の隠喩となっております。それは、自傷行為です。本来なら全面的に押し出したかったのですが、読む対象と、掲載される媒体のことを考えて控えておきました。あまり、荒れていない高校にとって、刺青の問題はイメージが難しく、影響が少ないだろうと思ったので。
ただ、逆に影響を考えずに好き勝手書いたらどんな作文を書いたのだろうなということは気になる所でございます。もっと、精神的にえぐられるような作文が書けたのだろうかね。
全面的改稿をしたい作文のひとつでありますね。