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1日1本小論文 5日目

テーマ「ディベートについて、日本の文化について」

文字数 約1000文字

 

近年、日本では欧米式のコミニュケーション技術を取り入れようとする風潮がある、企業の研修でディベートやら、ロジカルシンキングの講習を取り入れることは、珍しいことではなくなった。学校教育の現場でも、自己主張のできる生徒が賛美されるようになってきた。確かに、欧米の考え方や、文化に学ぶどころもあるだろう。しかし、日本の文化をもっと大切にをする必要があるのではないのだろうか?

日本独特のコミニュケーション文化を尊重するのであれば、ディベートは必要ないだろう。なぜなら、今までの文化で必要とされなかったし、発展しなかったからだ。その代わりに、日本では場の空気を読むことが重要とされたのではないだろうか。意見の伝達よりも、気持ちの交流を大切にしていたのかもしれない。それは、文法にも現れている。英文法では、まず最初に、「私」という自己は誰かに侵略されることなく、独立している。「I」と最初に明示することによって。それは、「I」と「I」のぶつかりあいではないのだろうか。しかし、それに比べて日本は、「I」を対立させて会話することは少ない。主語が溶け合っていることが多いのではないのだろうか。主語を、きちんとはっきりさせることは、日本語文法では少ない。日本では、対立というよりは、他者とのつながりの中で自己が成立するのだ。

しかしながら、一方で欧米式のコミニュケーションに馴染んだ日本人もいる。別に、それが悪いとは言わないが、それを最も極端な形で現したのは、「クレーマー」ではないのだろうか。「クレーマー」という存在は、自分の主張ばかりを押し付け、相手の立場などを考えたりはしない。それは、日本古来の良さである、「抑制の美」を忘れてしまっているのだ。ここで言う、「抑制の美」とは、本音と建前を使い分け、矛盾を許容する心を言う。それはいやらしいイメージもあるのだが、反面、表立った対立を避けるといった良さを持っている。しかし、それが、「クレーマー」と言った、ある意味外来種によって、失われていくのではないのだろうか。「クレーマー」が増えて、行き着く先は何か。それは、訴訟社会ではないだろうか。欧米では、特にアメリカでは、もう既にそうなっているのだが。日本でも、いつかなってしまうのかもしれない。

異文化を理解したり、取り入れることは大切だ。しかし、日本は自国の文化をもっと大切にしたほうが良いのではないのだろうか。これは、過去の日本にも言えることなのだが、どこかの文化を崇拝するあまり、また別の文化を軽視することにもつながるのではないのだろうか。日本は、もっと自国の文化を大切にしたほうがよい。

 

参考文献

ディベートが苦手、だから日本人はすごい」

榎本博明著 【朝日新書