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「所在はどこにあるのか」

エッセイ

私が、何か行動を起こしたとする。それは、私自身の責任の上で行なっていることとなる。何か特殊な事情がない限りは。

しかし、時々感覚というのが不安定になるときがある。私がやったという客観的事実としては認められるが、実感がない時がある。実感としての感覚がどこか遠い世界に行っているのではないのだろうかという時があるのだ。説明するのが難しいのだが、自分のとった行動であるのに、他者の記憶なような気さえすることがあるのだ。もちろん、自分自身の記憶に変わりはないのだが。

記憶というのは、何度も反復して記録しなければ、実感としては残らないのだろうか。いや、そもそも、概説的な記憶であっても、繰り返し記録したり、読み返したりしないといけないのかもしれない。何もしないと忘れる一方である。感覚というのがよく分からない。主体的な記憶の仕方が分からない。常に、客観的目線でしか、自分自身を観測することができない。もちろん、そうは言っても、主観というのはあるだろし、今このように文を表現している時点で、主観的になっていると思う。だから、主観的な感覚が無いわけでは訳ではないのだろうけど、上手い表現の仕方が見つからない。記憶の領域に踏み入るのは、まだ早かったのだろうか。