読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「起源」

感情というのはどこから生まれるのだろうか、外部的な要因によって作り出されているのだろうか、脳が勝手に作用しているだけなのだろうか?


例えば、Aという人物にとって悲しい出来事が起きたとする。悲しい出来事というのは、Aが尊敬していたアーティストの死だ。

(悲しみという感情がどこから生まれるのか、考える必要性があるが、ここでは考察しないこととする)

アーティストとAには直接的なつながりはない。Aはアーティストの作品を、陰ながら応援していただけだ。例えば、作品が出たら、すぐに定価で買ったり、情報の拡散をする程度のことだ。作品の感想をアーティストに述べたわけでもないし、絡みがあった訳でもない。


上記のような設定で、Aが悲しくなる理由は分からないのだが、それ以上に苦しいだとか愁訴するのだ。

百歩譲って苦しくなるのを、理解したとする。しかし、この感情はただの偽善でしかないのではないだろうか。アーティストの死に対して、Aは「アーティストの死に対して、悲しんでいる私には、まだ人間性があるな」という確認行為をしているのではないか。人の死すら、自分自身の正当性を測る道具になっているのだ。そう考えると、Aの感情は非常に気色が悪い。いや、胸糞悪い。

ただし、決めつけてはいけない。別の仮定もしてみた。今回のケースは、Aの近親者の死ではない。どちらかというと遠い存在の死である。ある程度の好意を持っていたとしても。このAの感情は疑似体験ではないだろうか。近親者ではない人の死を苦しむことによって、いつか起こりうる、近親者の死に備えようとしているのではないだろうかと。

このように考えれば、理解できないこともないが、見苦しいことに変わりはない。どちらにしても、結局、A自身のエゴにしかならないし、そのために人の死が使われているのだ。

今、考えた仮説をAにぶつけてやったらどうなるのだろうか。どんな反応をするのだろうか。どう反応しても、いい見ものであることは間違いない。