「3周年」

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1月11日、はてなブログさんから3周年お祝いメールが届いた。このブログを始めて3年経ったということらしい。そんな自覚は全くなくて、月日が流れるのは早いなぁと思った。

 今から3年前、このサークルの屋号「夢Code Core」が決まり、ブログを作り投稿した。当初に考えていたこととは関係のないことをやってみたり、寄り道しながらサークルの物語は進んでいる。予定を立てても思い通りにできるだけの技量はないし、作った時に立てた目標を達成しているわけではない。そもそも、設立の時に売りとして書いていた小説は未だに完結していないし、書き切れる自信もない。その作品の色紙をいただいたりしていて、その物語を気にかけてくれている人は確かに存在する。作者の義務としては完成まで話を持って行かなくてはならない。

 2年前だったか、年始に今年度の目標と題した記事を投稿したが、そんなものは達成されなかった。そのため、今年はそのような目標を掲げることはしない。

 

 そもそも年明け1本目の記事がこれになるとは考えてもいなかった。近況報告も兼ねて、最近書いたエッセイを掲載することにしよう。

 

・2018.1.9  「投げつけられた鎖(鎖は投げつけられる)」

 ある人には口癖がある。話相手が言葉を発し、それを一通り聞き終えると、文末にある一言を付随させる。それは必ずといってもいいくらいの確率であった。その口癖は不思議な言葉でもあった。まず、どのような文脈においても違和感がない。そして、相手を不快にさせることはない。便利な言葉であった。しかし、その言葉には重大な欠点があった。それは、特定の界隈に所属してないと真意が伝わらないということだ。界隈に所属していない人間にとって、その言葉は挨拶のようなもので、特定の意味を持ち得ない。特定の界隈に所属している人が聞くと意味を持ち、強い言葉として動き始めるのだ。

 nはその言葉を理解していると考えていた。nは特定の界隈にどっぷりと浸かっていると思っていたし、何よりある人の理解者であるとも思っていた。nは少しだけ優越感に浸っていた。

 しかし、それは誤認でnはとある人の言葉を理解していなかった。というよりも、理解者として認識されていなかった。とある人にとって、nが文意を読むことは想定外だったのだ。

 だからといって、とある人はnを除外することはしない。生かさず殺さず様子を見ることにしたのであった。

 とある人の言葉の強さは日に日に増していき、nは苦しむようになった。しかし、nはその領域から立ち去ることはしなかった。とある人の言葉は私しか理解していないんだ、だから、私が逃げてしまったらとある人の世界は崩壊してしまうと思い込んでいたからだ。

 そんなのはただの思い込み。だけどとある人の言葉はnを絡みとって話さない。鎖とでも言うべきか? 鎖だとしたら名付けなくてはならない。名付けないと、ただ苦しいだけの鎖になってしまう。

 名付けると言っても、どう名付けるのか? なんだか面倒くさい。だけども名付けないと死んでしまう。死なないためにも名付けなくてはならない。



新年始まって、1番最初に思い浮かんだ短編です。領域外伝と言ってもいいけれども、領域の話とも言いきれないなぁってところです。今年もごちゃごちゃ領域の話を書くんだろうなぁと思いつつ、いい加減ちゃんとストーリーのある物語を書きたいとも思いつつ。ストーリー性のある物語の書き方がよくわからなくなってきてもいます。


挨拶が遅れましたが今年も本サークルをよろしくお願いします。


2018.1.13 鈴木夢眠