おめでたい脳と断片
人それぞれの人生があるというけれども、それはそれでよく分からなかった。
先日、5年振りに遠目で様々な方に再会した。イメージと変わらない人や、すごく変わった方。話しかけていない人が大半なので、ガラッと変わった人には気づけていないのだろう。
彼のことも気にかけていた。友人の友人なので直接的に話すことができないにしても、少し声を聞くことはできた。
たくさん話した過去の時間を思い返す。毎週のように問題を作っては考えるという遊びをしていた。それを簡潔にまとめると、相談、共有しなくてもよく個人で考えることをむやみやたらに話して、勝手に傷付いていただけのことだ。あまりよくはなかったが、目に見えるトラブルというものを求めていたような気がする。
僕は、周りの人に乗せられ、暗黙のドレスコードを守った服装を身に着け、中身のない時間を過ごしていた。騒がしい人、話を聞かない人、勝手に言葉から連想されたことをしゃべり続ける僕。混沌としていた、どうふるまうのが正しいのか分からなかった。
久しぶりに彼と面と向かって話をしようと思った、しかしそれは無理だった。聞きたいことが多すぎて、どこから話すべきか整理できなかった。今時、連絡アプリを使えば話をすることもできるが、それすらも怖い。感情を言語化することはできるし、むしろ連絡アプリを使えば落ち着いて話ができるような気もするが、なぜかそんな気にはならない。一人で、鬱になりそうな曲を聴いて思考し、泣いていたほうがましだ。
帰ってから、何かから逃げるように、過度の睡眠を取った。どれくらいの時間眠っていたかはわからないが、半日以上は眠っていただろう。やるべき事が終わってなかったので、時間の浪費でしかなかったが、わけのわからない物語を言語化できるくらいには落ち着いた。
彼は僕の理想の体現だった。持っていないものをすべて持っているように見えた。それは幻想で、彼だって欠けているところがあるのはわかっていたけど、それにすら美を感じた。それくらいとち狂っていた。
彼のことはもう考えることはないだろう、再会しない限り。会わないほうが僕的には助かる。今だけを考えることができるから。
おめでたいように、僕だけは同じところにいて変われない。