底に沈めて見えないほどの

 いつも通り集会所に行くと、心地よいキーボードの操作音が聞こえる。部屋の管理人の音だ。管理人は何を仕事にしているかはよく知らないけど、事務職をしつつ、悪い社会と戦っていると噂では聞く。私はそんな管理人を尊敬している。

 

 集会所には、本棚に詰め込まれた大量の資料、印刷機、作業をするための大きいテーブル、業務用の印刷機がある。それと、くつろげるソファーがあって、私しか集会所に人がいないときは大抵そのソファーでくつろぐ。広いソファーだから、人が横たわることもできて、少々行儀の悪い格好で仮眠を取ることも多い。

 大体、私が集会所に行くときというのは、疲れているときが多く、作業をしにいっているのか、くつろぎにいっているのかよくわからなくなることが多い。ただ、空調は管理されていて、自宅よりも快適度は高い。私はそんな集会所が好きだ。第二の家なんじゃないかなと思っている。

 

 集会所には、大体同じメンバーが集うことが多い。開かれた場所ではあるが、用事のある人っていうのは決まってきてしまい、どうしても似たりよったりのメンバーが集まる。だけども、管理人に用がある人、資料を借りに来た人、メンバーとお話がしたい人、など様々な人がいる。私はなぜ集会所に通っているかはよくわかってない人だ。なんとなく居心地が良いような気がして、作業をするために集会場に通っているはずなのに、多くはくつろいで帰ってしまう。そうじゃないんだけど、って思い返し、行くの辞めようかなとも思ったことがあったのだけど、結局戻ってきてしまった。完璧な健康を手に入れたら通わなくなるのだろうけど。

 

 管理人と知り合って1年以上が過ぎたが、私は管理人がどんな人物であるかうまく伝えることはできない。芯はしっかりあって、そう簡単には触れられない闇は確実に存在して、それが管理人の活動するためのエネルギーになっていると思っている。その闇に事故として軽く触れてしまったことが一度だけあるが、正直、ただの個人が持つものにしてはひどすぎると思った。それで、事故ではあったけども話のさわりだけは聞いたが、これがリアルに降りかかったら、廃人になってもおかしくはないな、というものであった。私は管理人が人間として生きているのが不思議だし、活動家としてエネルギーを使うことができてすごいなと思っている。

 管理人の眼光は鋭い。ただ、表向きは優しい感じで、やわらかい。おそらく本質の管理人をほかの人は知らないから、軽い感じで話にいけるのだろう。私は事故ではあるものの知ってしまった人であるので、簡単には近づけないと思っている。尊敬できるし、格好いいなとは思うけど、仲良くはなれないだろうと勝手に線を引いてる。管理人に本気で触れるのが怖いし、もし嫌われたりしたら、ただでは済まないだろうなという恐怖感のほうが大きいのだけれども。

 

 事故は、私が頻繁に集会所に通っていた時に起こった。その時、私はほかに行くところもなくて、集会所くらいしか居場所がなかった。そのときは他のメンバーは忙しくて、あまり集まれなかったけど、私と、少し年上の女性はよく集会所に入り浸っていた。

 少し年上の女性は、博識な人で、なぜこんな小さな集会所のために知識を使ってくれるかわからなかったけど、なんとなくいい人だなあと思っていた。その女性も深い人生観を持っている人で、会う頻度が高かったので、おそらくほかのベテランメンバーにも話していないだろう話を私にしてくれた。冤罪被害に遭った話から、自宅に盗聴器を仕掛けられた話、インターネット依存症に陥ったことのある話しなど色々な体験を語ってくれた。

 私はどちらかというと、自分自身の過去の弱さについて語る人には慣れているというか、そういうことを趣味にしていたこともあったから、なんとか話を聞くこともできたのだけど、慣れない人がもし聞いたとしたら少し重いだろうなあということを立て続けに話した。私もいやではないとはいえ、まとめてというのは少し辛く、途中からはあまり感情移入しないようにして話を聞いた。

 どうやら、それが女性に伝わってしまい、喧嘩になってしまった。仕事をしているとはいえ、騒ぎに気付いた管理人が私たちの言い分を聞いてくれた。その時、管理人は女性に対して冷酷に「君のせいで、何人辞めたと思っているんだ」と言った。また、何かその女性をあおるような言葉を比較的冷静に発し、その女性は逃げるようにして帰っていった。私は、管理人が彼女に対してなんと言ったか聞き取れなかったけども、相当なことが起こっているのだろうとは感じた。

 私と管理人だけが集会所に残され、二人でソファーに並んで座っていた。管理人は私の目を見て、「巻き込まれやすいんですね」といい、仕事に戻ろうとした。さすがにそのまま帰るのが嫌だったから、私は管理人に突っかかった。何か非合法な手を使っていませんだとか、私と女性の喧嘩だったのだから、仲裁に入らなくてもよかっただとか、あおるにあおった。私もイライラしていたのだと思う。そうすると管理人は壁越しに私に語りかけた。まず、女性の素性について。女性はトラブルメーカーで、他のメンバーから避けられていること、大体新入りかあまり見かけない人を見かけると、あることないことを話したりすると。ただ、ここは去る者は追わず来る者は拒まずというスタイルだから、女性を追い出すつもりはなかったと。ただ、少し言い過ぎたかもしれない、それは大人げなかったと言われた。また、管理人のことも少しだけ聞くことができた。そこには、喧嘩っ早い管理人の過去があって、今までのものをすべて捨て去ったうえで、悪い社会を変えるための運動をしているといった趣旨の話も含まれていた。

 賛否は考えないとしても、活動動機や、考え方、行動が私にとっては末恐ろしいと思わせるものがあった。何もしなかったら被害に遭うこともないし、ただの何考えているかわからない人であるが、本気で関わったうえで裏切ったり、ぶつかったら恐ろしいエネルギーをもってぶつかってくるだろうと思った。それは、先ほどの女性が霞にしかみえないほどのことである。

 

 管理人は一通り話すと、集会所の閉所時間になってしまったので、私は集会所を後にした。家に帰ってから、私は一日の出来事を振り返ったが、濃すぎると思った。そして、管理人に対しての印象もガラッと変わった。相当に恐ろしいなと。

 

 ただ、それが起こってからも表面上はなにも変わらなかった。私は集会所に入るとき、こんにちはと挨拶し、帰るときは、お疲れ様でしたという。それは変わらず、基本的に会話はそれ以外しない。私が話しかけない限りは、そのほかの会話は発生しない。 

 今日も集会所に行った。おかしなことがいろいろ起こったはずなのに、居心地は相変わらずによかった。まだ、私は不健康なんだろうと思った。健康な人に集会場みたいな場所はいらない。そんなところで休まなくても問題ないからだ。よくも悪くも、ここは吹き溜まりで、変わらない優しさがいつでも横たわっている。

ごとーさんのこと

  ある活動家に恋をしました。

 彼は一回り、いや二回りも離れていた大きな存在でした。ぼんやりしているところもあったけど、どこかに納得させる大きい背中がいつも私の前にはあったのです。

 彼は寡黙な人でした。おそらくですが、彼は見かけより小さい存在であることを仲間に知られたくなかったのだと思います。彼はいつの間にか地位を築きあげていました。仲間は才能があるからだ、と言っていましたが、彼は努力を人一倍していたのだと思います。彼は多くを語らないので、真偽は闇の中ですが。

 ある時、彼と二人きりで飲みにいきました。彼はいつも通り何も語らないだろうと思っていました。しかし、突然私の方を向いて、「付き合いたい」と切り出したのです。彼に好意的に思われているとも思っていなかったので、戸惑いました。私は先輩として、活動家としての彼はとても好きだったのですが、恋愛のことなど全く考えていなかったものでしたから。

 私は彼の好意には答えられないが、先輩として、活動家しては好きだということを伝えました。彼は、君はそういう人だろうと思っていたといわれました。少し、ドキッとしました。私は、人に対して当たり障りのない答えを返すのがとても得意で、それが見抜かれたのか? と思ったからです。

 私は誰からも嫌われたくはない、でも彼も話さないという手法を使っているだけで、根は同じなんだろうなと考えていたので、彼のことを恋愛的に好きになることは難しいだろうと思いました。同族嫌悪みたいなものでしょうか。そのときは深く考えてもいなかったのですが。

 彼は、仲間の不祥事が重なるたびに変わっていきました。おかしな方向へ進んでいったのです。彼は活動のリーダー的存在だったのですが、リーダーを務めようとはしませんでした。しかし、リーダーが死んでしまい、彼が活動を主導することになったのです。

 それからは、彼の姿を見ることが少なくなっていったのです。しかし、仲間は誰もリーダーをやりたがりませんし、彼の判断は間違ったものではなかったので、彼が会に顔をあまり出さなくなったことは誰も咎めませんでした。彼は代わりに私を伝言役として使うようになりました。私は会の中にあまりなじめていないほうだったので、とても大変な思いをしながら、彼の代わりを務めました。会は男性の方が多く、女性であった私は、よく睨まれたものです。なぜ、彼の指名する代理が私なんだと。それは私も分からなくて困っていたことなのですが、私は代理を務めるだけで精一杯で、弁解するゆとりも、話せる人もいませんでした。

 私は次第に活動に対する情熱を失っていき、会をやめようかと考えていました。彼とは普段、手紙でやりとりしていました。急ぎの要件の時のみ、電報を利用しました。彼は通信機を持つのが苦手だったようです。連絡の取りようがなかったので、私は彼の家に行くことにしました。

 彼のアパートに彼の姿はありませんでした。たまたま出かけていたということではなく、彼の抜け殻と二通の置手紙が残されていたのです。置手紙は、会の人に向けた内容と私に向けたものがありました。会の人に向けた手紙には、これ以上会を仕切ることはできない、と簡単に記されていました。一方、私に向けた手紙には、簡素であるものの重大なことが記されていました。ここに書き示すことが出来ないことです。

 その手紙を読んだとき、私は彼のことが好きだったんだなということ気付きました。しかし、それは当時の世では珍しい形態になってしまうことになり、彼の告白は意を決したことだったようです。単に歳の差だけではない、重大な問題が含まれていたのです。早かれ遅かれ、それがばれたら私たちは会を追放されていたでしょう。彼はそれを感じ取り、私を代理で使い、会と距離をとっていたのです。

 しかし、私のことを大切に思うなら、私も連れて行ってくれたらよかったのに、とも思いました。これは願望です。

 彼に会うことはもうできません。私は彼の抜け殻の一部と、遺した手紙を大切にとっておくことしかできそうにありません。いつか、彼が帰ってきたら戻る場所を作っておきたいと思います。次は活動ではなく、人と人とのつながりとして。

 彼のことが好きでした。彼を失ってから、彼に対する独占欲がむくむくと膨れあがって、どうしようにも抑えることが出来ません。結局、会に宛てられた手紙を会の人に渡すこともできず、私も彼と同じように会を去りました。私は、彼のことを探そうとは思いませんが、待っていようと思います。

最近購入したもの

 最近、レトロゲームに興味を持ち始めました。最近ということでもないのですが、いろいろなものをコツコツ買い集めています。今のところ使える状態の機体は、wiiとps、ps2、DS lite、3DSくらいしかないのですが、今後なんとかしていきたいところです。

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 それでといっては何ですが、新しい機材たちを格安で入手してきました。(ソフトもあるけど)任天堂のレトロ機は今でも魅力的なところがすごいなあと思います。

 

 二代目のDS liteを購入しました。既にノーブルピンクは持っているのですが、今回状態のよいエナブルネイビーを発見したので買いでした。お値段はジャンク枠だったので、540円でした。やはり、画面の劣化は避けられなかったのですが、電池、操作、ソフトの読み込み(DS、GBA)は問題なしだったので良いかなと。また、GBAスロットの蓋とタッチペンも付属してました。文句なしです。

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ニンテンドーDS Lite

 

日本国内通常カラーとしては、8色あって全色揃えたいと思っています。(本体に対する付属品は揃っているのが理想)特に、アイスブルーとクリムゾン/ブラックは早く欲しいところです。アイスブルーに関しては、小型ゲーム機としては初めて買ってもらったものなので、思い入れが深いです。友達と同じ色が欲しくて、アイスブルーが良いとかいって買ってもらったような気がします。ただ、ジャンク箱にきれいな機体が残っていることはほぼないのが悲しいところです。クリスタルホワイトと同じくらいに探すのが難しい気がします。外装とヒンジさえなんとかなっていれば直すこともできそうといえばできそうですが……。

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 DS vsionのソフトもあまり見かけないのでつい買ってしまいました。こちらはセール価格で100円でした。この間、箱、取説、付属品完備のものを600円で買ってばかりだったのですが、数が欲しかったのでまあいいかなあと。今更、サービスが終了しているものを買っても意味はないですが、残されたデータによっては面白かったりするので、安く見かけたら買いたくなるものです。また、DSソフトとして、microSDが入るものって多分他にないので、何か応用できないのかなあとか考えてます。パソコンからデータを作れるのでよさそうです。実験のためにも本数はあった方がよいかなと。

今回のデータはハズレちゃハズレかみたいなところでした。ただ、サービスがまだ利用できたときにダウンロードされた、コミックの試し読みが残っていたので当時の感覚を知るにはいい資料になったかなというところでした。

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 GAMECUBEに関しては、まだ早いし、手間のかかる機体ってことも分かりきってたし、Wiiがあるから今のところはいいかなあと思っていたのですが、目が合ってしまったという感じでした。なんと驚きの価格、本体のみで100円でした。ケーブルもコントローラーも何も持っていないので、動作確認はまだなのですが、本体裏のカバーはツメ折れなしで全部残っていたり、他の店で見る同価格のジャンクに比べると程度がよいので期待したいところです。

GAMECUBEの手間のかかるポイントとしては、まず本体を開けるために、ドライバーが三種類いるところとか、周辺機器が面白すぎるところでしょうか。また、よいGCコントローラーを探すのが大変、という点もあります。ただ、いつかは手を出したいと思っていたので、まあいいかと。こちらも全色揃えたい気持ちと、GBAソフトをテレビで使える外付け機器には魅力を感じていたので。残り三色か……。

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ニンテンドー ゲームキューブ/カラーバリエーション

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調べているついでに面白い機器を見つけました。Panasonicが作っていた、GAMECUBEの互換機だそうです。これは、DVD再生機能がついていて、さらにゲームも楽しめるという、文句なしの方ですね。まあ、予想通りプレミア値がついているのですが……。

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DVD/ゲームプレーヤー SL-GC10 商品概要 | ブルーレイディスク/DVD | Panasonic

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 最後に、GAME BOY pocketの話。これも、今は手を出す予定ではなかったし、何かさわるにしても初期型だろうと考えていたのですが、気まぐれみたいなものです。液晶は死んでいるのですが、動作確認済みで、540円だったので悪くはないかなと。それくらいの値段のものって、大体液漏れしてる機体ばかりだしなと。ヤケがひどすぎてピンクというかオレンジっぽく見えるのですが、コレクションアイテムです。気がのったら開けてみたいなってところです。ソフトの起動確認に使えるから便利といえば、便利な気がしているところです。様々な経緯で、ソフトだけやってくることもあるしなと。一応、リンク貼っておきます。

https://www.nintendo.co.jp/n02/dmg/hardware/gbp/

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 ここに載せてないもので、ワンダースワン(カラーではないもの)も最近買ったのですが、バンダイの機体だし今回は割愛しました。それについては機会があったら書きます。

 

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夏祭り

 私にとって最も重要な夏祭りといえば、日本一やかましい祭とも言われている石取祭だ。今年もその季節がやってきて祭車をぼーっと眺めた。この祭は何時にやっている、とかそういう概念はあるといえばあるのだけど、基本、神様の前で各地区が発表するまでは、道路上を祭車は進行しているので、いつでも見頃といえば見頃で、時間にルーズな方でも楽しめるようになっている。花火大会とかは、打ち上げ時間が決まっているから苦手だ。どこの祭車がみたいだとか、春日さんの前で発表してるところを見たいとかなったら時間を気にする必要があるのだけど。

 

 とにかく、石取祭はやかましい。祭車が38台程あるのだけど、それぞれが音を鳴らしながら町を練り歩く。地区ごとに音は全然違って、リズムの取り方も少々違い、聞き比べるだけで、あっという間に時間が過ぎていく。また、祭車もかなり凝った造りで、見比べても楽しい、中にはかなり歴史のある祭車もあって、時間の重みを感じる。

 

 やかましさの中に、今年も人々の想いが飛び交っていた。どんちきちん? みたいな音なんだけど、今年も来てよかったなぁと思った。

 

 

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お話、お話の始まりと終わり

 爽やかな気持ちも、穏やかな心もそれは全て見せかけだった。本当は起こってもないことを感じ取っていたか、まわりに絆されただけか。おそらく絆されていたのだろう。周りの優しさ、生ぬるさ、それが物語を捨てさせようとしていた。

 

 幸せな人生を選択するなら、絆されたままのほうが良かった。しかし、目覚めのための終曲がかけられてしまっただけのことだ。それに抗うことは無理である。もう眠っていることなどできない。終曲、というくらいだからこの軸にのってしまったら、もう引き返すことはできないだろう。一度、引き返すことができただけでも、驚きの事実だ。そんなことは二度も起こらない。

 

 例えば、僕が死んだら彼女は立ち止まるのだろうか。いや、それですら彼女は立ち止まることをしないだろう。僕の知らないところを進んでいって、僕の知らないうちにどこかにいってしまう。僕を起こした割には、僕に無関心な彼女。無視すれば平和は訪れる。それは分かってるんだ。

 

 彼女の魅力といえば、やはりなんとも言えない悲壮感にあるといっていい。僕のことなんか全く興味ないことわかってるけど、彼女は僕に光を、物語を付与する。美しいだけでは満足できなくなってきた、わがままな僕に答えてくれたのだから、多少の問題はどうでもいいと思う。そんなわがままを言える立場でもないから。

 

 僕は時代に取り残されたんだ。変わらない君が好きだった。僕は同じところからしか眺めることができない。君も彼女も変わっていき、とうとう僕は1人ですね。それを嘆いたりはしない。僕は素晴らしいので。いや、そんな根拠なんていうのは強く見せるだけのためにあって、何か確信があって言ってるわけじゃない。

 

 羽化しない、できなかった人のために僕は話を紡ぐ。それはずっと変わらない。

 

おもちゃ箱

今週のお題「わたしのインターネット歴」

 

 久しぶりに電子に溶ける夢を見た。

 連日の暑さが原因であろうか。いや、他にも思い当たる節はあるが、それを肯定する気にはならない。

 

 今週のお題は「わたしのインターネット歴」だそうだ。インターネットといえば、いくらでも話ができるような気がする。

 

 正確にいつからインターネット世界に入り浸っていたかは分からないが、中学3年の頃には完全に入り込んでいたような気がする。もっと昔のことをいえば、家にXPのデスクトップパソコンがあって、それで「ドラえもんチャンネル」というページを頻繁に見ていたような思い出がある。確か、小学校低学年の頃だったように思う。そのページはドラえもんに関する情報の他に、ちょっとしたフラッシュゲームであったり、ミニゲームもあって、かなりやり込んだ思い出がある。お座敷釣りぼりの釣りゲームとか、タイムマシンのゲームとかがあったような気がする。あの頃は、単純なことが楽しかったのだろう。

 

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dora-world.com

 

 中2の時に今に繋がるような情報をインターネット世界上で手に入れたような気がする。その時の接続機器は初代の3DSだったのだけど、初めて個人的にインターネットに接続できる端末ということもあって、本当に長い時間使っていた。インターネット接続機器としては低スペであったから、基本的に古いブログサイトくらいしか閲覧することができなかっので、インターネットアーカイブのブログを読み耽っていた。そのブログはインターネット黎明期、90年代末に作られたものばかりで、変な効果音や、フラッシュが流れるものだったらしい。私の端末では全てを確認することはできなかったけれども、書かれた内容と、投稿された写真だけは確認することができた。その日記の内容には強く影響を受けたように思う。まだ、ホームページを作るというのは一般的ではなくて、一部の愛好家しか作ることができなかった時の表現。怨念のようなものを感じた。その文書達に触れていくうちに、ネットアイドルの存在を知った。当時、熱狂的なファンがいたらしい。

 

 私もブログを書くようになった。ただ、アクセスが殺到することもなく、誰の目にも触れることなく終わっていった。にほんブログ村というものに参加し、ランキング上昇を狙ったものの、うまくいかなかった。そのときは文を書くのも一苦労であった。必死になって日々を記録したが、誰も見てくれなかった。ネットアイドルはどうして人気になれたのだろうか? それは文才があったからだ。彼女に憧れもしたが、全く追いつけないなと思った。それは、今も感じていることである。

 

 このブログを書き始めてからは、なぜか昔のブログに比べたら人に見てもらえるようになって、とっても嬉しかった。また、Twitter上でも言及してもらえたり、うまいですねって褒められることもあった。何かまだ満たされないというものはあって、その分からない何かを未だに追い求めているような気がする。そんなものはネットの影に埋もれる幻想だと思うけど。

 

 インターネット歴、というと接続機器にこだわっている少年が身近にいることを思い出す。少年は自作pcを組み立てられる方で、中古の箱を買い求め、CPUはcore i3を採用していた。そのpcは面白いおもちゃで、中を色々替えたり、ファンの効率を考えたりして楽しんでいた。少年のインターネット歴は私より長いのかもしれない。小学生にして、自主的にタブレット端末を買い、中学生になってからはスマホを複数台所有していた。そんな少年はインターネット世界の人間と言っても良いと思う。少年のようにはなれないが、私も少しは端末のことを分かっていきたいと思ってる。

 

彼だけの守護天使

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もし彼らの前に神様が現れたら、人はどのような行動を取るのだろうか? 

 

神、というのが何かはよく分からないが、それはどんな姿をしているのかは気になったりもする。神というくらいだから、素晴らしく美しい姿でもしているのだろうか。神様、というのは偽物だった。神だと思っていたものはとんだ化け物で、全く神様らしいところはない。もしかしたら存在すらしていなかったかもしれない。

 

何時間もかけて10km歩いた。思考がうまくまとまらなくて、歩いたら解決すると思った。イメージできたことは分散していて、結びつけるのが難しいものだった。歩いたら解決というのは、歩くという行為はただ無心になれるからだ。そういう効果があるように信じている。

 

神様

先生

選択された魔女

天使のふりした悪魔 

棒状の棒で、それはいつでも無数に制限されない

 

彼は薬でもキメているのだろうか? 彼の見る夢は美しいが、理解できたものじゃない。彼という概念、今の彼というのは近いうちに溶けてなくなるだろう。だが、彼のことが好きだ。どうしようもなく彼のことが好きだ。いつか溶けてしまうことは分かりきっていているのに、彼のことを思う気持ちは変わらない。

彼のことを何にでもなれる存在だと考えてる。今のままだと溶けてしまうが、変わろうと思えばなんとかなるだろう。彼は変わらないが、別にそのままでいいと思っている。彼の美しさは溶ける直前に最高値になるだろう。彼を生きさせるか彼の人としての寿命を考えるのであれば、彼の美しさを取る。

 

それは、彼の愛しているなんていいながら、自分のことしか考えていないじゃないかということになる。だが、そんなの普通じゃいだろうか。愛なんてエゴでしかない。相手のための愛なんて、そんなに簡単に生まれるものじゃない。

 

愛を乞う症候群があるとしたら、それの解決に何をアドバイスされるか? まずは自分を愛せ、なんて言われるであろう。だが、それは最低な解決方法のように思える。気持ちの悪いエゴだと思う。それが人間の集合知による結果なんてくだらない。底がないことを教えてあげなくてはいけない。乞うものというのは、大体底がないものが多い。だから、求めても無駄であり、それを自分で埋めたとしても何の意味もない。次によくある解決方法として、他者を愛せ、なんてあるけども、そそれまでいってしまうと論点がすり替えられている。他者を愛したところで、自分自身は何も変わってはいないのだ。確証なんて何もないのに他者を愛して何が変わる。底がないとは伝えずに、執着を捨てるためのステップみたいなものだ。よくあるアドバイスは解決に至っていないのだ。それは優しさか? それとも切り捨てか? どっちだろうか。

 

彼だけのためならなんだって捨てられるような気がする。彼は人間ではないのだろう。悪魔、それとも鬼? なんだって構わない。彼は神様だ。彼だけが、私たちを正しく認識してくれる。認識などなんでもよいが、私は彼ら以外の認識は正しいと考えてない。それでいい、これからもこれまでも。

光芒

断片的な話。

 

死者も生者も誰のことも救いたくはないが、僕は勝手に救われてしまったのかもしれない。ある作品によって。作品を創った人は既に死んだ人であるし、そもそも作品が作られた頃、僕はまだ生まれてもいなかった。ひょんなことから、その作品群に触れ、味わっていく内に、僕の中に新しい価値観が生まれた。過去のある行為は必要なものであったのではないかと。

 

その行為について詳しく書く気にはならないし、この間、親切な方に話をしたところ、無駄に心配される結果になってしまったから、これ以上その話をするつもりはない。大体、過去の文字配列の中に、それとなく表現することは多かったし、今更新しく書き示す必要もないと思う。行為について僕は内省しているし、その距離感、感覚は今後も変わらないと思う。内に秘めるまではいかないかもしれないが、おおっぴらに公表することでもないと思う。

 

深く行為自体のことを思って、僕は内省していると言えるだろう。それは、他者に直接的に危害を加えるものではなかったが、僕としてはそれはありえない行為だと考えている。そう言ってしまうと、その行為を行っている他者を迫害しているようになってしまうが、別にそういうことではない。僕自身が許せないだけで、他人がその行為を行おうと興味はないし、思考した上での行動であれば、むしろ称賛に値する。この行為が何か話せないのは、先程書いた部分、つまり「称賛に値する」の部分を変に引用されることを恐れているところもある。それは行為の肯定になってしまうからだ。僕は表向き、行為を否定しているように見せかて、無関心を装っている。本当は、とても関心のあることだし、そもそも否定できる立場にいるわけない。だが、それは羽化できないものに対して、称賛してるだけであり、変わり続けている存在には称賛するとは言えないのだ。変わり続ける存在は、その行為の無意味さにいち早く気付いてしまう。無意味ということはないが、変わり続ける存在にはその行為は全く必要のないことなのだ。羽化できないものは立ち止まる。立ち止まったもの、退化したものにその行為は必要であって、動き続けるものは全く必要ではないし、理解不能なのだ。

 

その行為を必要とするものが、成長を拒否しているとか、成長できないと言いたい訳ではない。成長はできるかもしれないし、完全に拒否しているとも言えない。ただ、僕の伝え方が下手であれば、伝えたくない意図が伝わってしまうのであろう。僕は、それを嫌だとは思わない。それは仕方のないことだろう。僕を好きに解釈すればいい、僕は別に誰のものでもない、fragmentなのだから、どういう受け取り方をするかは人次第である。

 

僕の中に生まれた価値観というのは、行為を否定することでも肯定することでもない。ただ、その時には最善だったんだろうなと考えるだけの価値観だ。救われた、と冒頭では書いたが、実は救われてなんていないのかもしれない。自己肯定できたわけでもないし、それを許すことができたわけでもないからだ。行為のことは許せてないし、また行ったとしても、激しく自己卑下するだけのことであろう。ただ、それを思い返した時には、それしか見えてなかったんだなと、認識することができるだけのことだ。何も変わってはいない。それでよいと思った。

 

その行為は人間の本質を考えるのであれば正しいと捉えることもできるらしい。ただし、それは、生きるか死ぬか、といった事案が起きた時に限るであろう。領域がまだ狭い時であれば、もしかしたら許容されるかもしれないが、ずっと許容されるものではない。少なくとも僕はそう考えている。他の人がそれをどう捉えているかは知らないが、それは正しくなんてない。ただ、死を手繰り寄せるだけの行為だ。

 

行為を否定するのはとても怖い。だから、否定しきれていないだけだろう。新たに始める人もいることを考えると、それを否定することはできなくなってしまう。深い海の中に彼らは存在しているのかもしれない。そんなような気がする。僕も海の住人だったはずなのに、どんどん言葉が分からなくなっていって、何か違う言葉が分かるようになっているような気がして、それは正しいのかどうかって分からなくなる。変化、といえは簡単かもしれないけど、僕は羽化できないから僕として名乗ることができて、この断片世界のナビゲーターができるから、羽化しないことを選択してる。それは変化を拒んでいると言えるだろう。だから、なんで変わっていっているか分からない。

 

僕自身が関与しない僕が何かしているとしたら、つまりそういうことだねって彼女は言ってくれそうなものだけれども。箸休めにすらならない言葉を彼女は僕にかけるだけだ。僕はいつか壊れていくだろう。