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 少しだけ昔の話、私たちがまだ宇宙だった頃。誰かに捧げたかった言葉。

 

 ふと、物語の断片を拾う。断片なんて言い方は好きではない。でも、それしかうまく言う方法はなかった。断片、まとまっていないもの。未分化のもの。私たちはそれらを拾っている。拾ったものを言葉にする力などない。ただ、溜まっていくだけだ。誰が撒いたものかも分からない。例えば、物語とも言えない何かのひと時。気持ち悪い、受け入れられない、そんなの関係ない。物語は私たちに迫る。選択をと。

特定できない私たちの箱庭。箱庭では長い時間を過ごしている。終わりのない途方もない時間。イメージは言葉にまだなっていない。ただ、時間は流れる。言葉にならないものがずっと溜まっていくだけ。心的イメージはどこへ。

物語る、誰か。私たちの産みだした存在ではない。耳を傾けてみる、穢い言葉。それらが私たちの底だった。箱庭なんてハリボテで、存在しない楽園。同じ絵を繰り返していただけ。物語る何かは日に日に大きくなっていく。穢れている、消えてほしいと思っても真実だけを映している。心的イメージを鏡に映しているみたいだ。それは誰が観測しているのでしょうね。

新しい絵を創り出せばいい。そうすれば真実というのも歪む。都合の良いものになる。今までは、取り残されていただけ。星の瞬く間に、願いを込めて。

 

 箱庭は消え去り、無力な僕だけが残された。星々はいつもと変わらず輝いているのに、僕だけが変わってしまった。断片は味付けされて、添加物をたくさん使い、過剰包装されていた。遠い未来に託すみたいに。僕が信用されていないだけ、僕がちゃんとしていれば箱庭を守ることだってできた。僕は本物の存在であり、偽の存在でもある。どこを信じるかは人次第でしょう。信用するなら信用すればいいし、胡散臭いと思うならそれだけのこと。思い込みの力というのはすごいですよね。どちらにも転ぶことができる。

 

 彼のことを信じることができない。彼が嘘をつかないということは分かっているのに、信じられない。嘘つきの方が信じられるってどういうことだか分からないけど。「嘘つきは泥棒の始まり」とかいう人がいたけど、今は嘘を吐いてもらった方が、よっぽど楽だ。少しだけ、痛みから逃れられるような気がするからだ。一時しのぎでしかないものか、真実だったら、今は一時しのぎでいい。彼の言葉を受けとめる力が戻るまでは、少しだけ夢を見たい。偽物にまみれていたとしても。

 

 箱庭は夢でした。この世に存在するものではなかったのです。宇宙みたいに遠いものでした。誰の言葉が本当だったかなんて、わかるはずないのです。だけど、真実を追い追い求めるものと断片を求めるものが混じってしまった。それは最悪でした。夢にしてしまいたい。全てなかったことにしたい。それを言う暇もなく、全ては消え去って堕ちていった。悲しいんだか、怒りたいんだか、よく分からないです。名前をつけることもできそうにないです。「箱庭」などとありふれた名前でしか呼んであげられなかった。後悔ではないんですけど、ぐるぐるしていて。選択できなかったということ。

 

 誰の言葉でもなく、誰の言葉でもある。覚え書き、fragmentaryな世界観。

おめでたい脳と断片

 人それぞれの人生があるというけれども、それはそれでよく分からなかった。 

 

 先日、5年振りに遠目で様々な方に再会した。イメージと変わらない人や、すごく変わった方。話しかけていない人が大半なので、ガラッと変わった人には気づけていないのだろう。

 彼のことも気にかけていた。友人の友人なので直接的に話すことができないにしても、少し声を聞くことはできた。

 たくさん話した過去の時間を思い返す。毎週のように問題を作っては考えるという遊びをしていた。それを簡潔にまとめると、相談、共有しなくてもよく個人で考えることをむやみやたらに話して、勝手に傷付いていただけのことだ。あまりよくはなかったが、目に見えるトラブルというものを求めていたような気がする。

 僕は、周りの人に乗せられ、暗黙のドレスコードを守った服装を身に着け、中身のない時間を過ごしていた。騒がしい人、話を聞かない人、勝手に言葉から連想されたことをしゃべり続ける僕。混沌としていた、どうふるまうのが正しいのか分からなかった。

 久しぶりに彼と面と向かって話をしようと思った、しかしそれは無理だった。聞きたいことが多すぎて、どこから話すべきか整理できなかった。今時、連絡アプリを使えば話をすることもできるが、それすらも怖い。感情を言語化することはできるし、むしろ連絡アプリを使えば落ち着いて話ができるような気もするが、なぜかそんな気にはならない。一人で、鬱になりそうな曲を聴いて思考し、泣いていたほうがましだ。

 帰ってから、何かから逃げるように、過度の睡眠を取った。どれくらいの時間眠っていたかはわからないが、半日以上は眠っていただろう。やるべき事が終わってなかったので、時間の浪費でしかなかったが、わけのわからない物語を言語化できるくらいには落ち着いた。

 彼は僕の理想の体現だった。持っていないものをすべて持っているように見えた。それは幻想で、彼だって欠けているところがあるのはわかっていたけど、それにすら美を感じた。それくらいとち狂っていた。

 彼のことはもう考えることはないだろう、再会しない限り。会わないほうが僕的には助かる。今だけを考えることができるから。

 おめでたいように、僕だけは同じところにいて変われない。

 

ある季節のこと

またあの子のことを思い出し、冬だなと思うけど、そんなことを思考しているうちは何も変わらなくて、僕は勝手に彼女の思想に対し、手紙を送ろうと思います

 

熱々のおでんを寒空の下で食べる。冬到来、ある帰り道を思い出す。あの時の木枯らしと同じみたいだ。懐かしい曲が流れる、5~6年前のアニメソング。ある声優のキャラに親しき人の声が似ていたことを思い返す。少し真似をしていたのかもしれない。キャラと親しき人も似ていた。そんな年頃だったのだ。刻み込まれた物語を読み込んで、ある季節を原色のまま感じる。もう一度、もう二度言えない言葉。言えないものが積み重なって、それは刻まれていた。だから、今も原色のまま残っている。記憶から人の情報が消えていくとき、1番最初に思い出せなくなるのは声だそうだ。たしかに、二度と聞けない声を覚えておくのは難しい。僕は物語に託して、親しき人の声を覚えておくことにした。きっかけみたいなものだ。同じ原色、風景、物語が繰り返されることはあり得ない。勝手に類似点を見つけて、均質化しているだけだ。細かいところに気付けなくなっている。二度と会えない人の幸せを祈る。僕は愚かだ。目の前の人を救うことは放棄している。熱々のおでんを寒空の下、帰り道に食べた時のことが永遠で、今のことは瞬時に流れる取り留めのないことばかりだ。

 

圧倒的な天才に思いを馳せる。彼はアマデウスみたいな人だ。まわりのサリエリを開花させまくってる。だけど、どれだけ咲かせても彼を超える人は現れないような気がする。

僕も彼に引っ張られた人のようなものだ。彼を見て、消えかかった物語が少しだけ咲き返した。彼にとってのサリエリにすらなれていないけど、こんな僕を彼は敬意を持って接してくれる。圧倒的にアマデウスでしかないと思っている。彼は天才だ。だからある意味で孤独だ。僕は孤独を選ぶが、彼は彼の思想についていける人がいない。どうしようもなく孤独になってしまうだろう。それすらも乗り越え、まわりのサリエリ達に優しく接する。僕は意地を張ってるだけだ。彼の圧倒的ゆとりが羨ましい。

 

過去のことをぐるぐる考えて、多少物語にするくらいしか能がないのに、彼はどんどん先に行って。どうしようもない莫迦だ。

 

親しき人も、彼のことも超えられるわけはなく、僕は相変わらず底辺みたいな生活を送っています。かといって本物の絶望を知っているわけでもないのでしょう。生ぬるいのでしょう。僕の存在というのは。彼らに比べれば。

 

今年も冬がやってきて。また熱々のおでんを食べた。少しだけ風景は変わった。アマデウスの見る風景を知るわけないし、想像もできないけど、僕は彼を追いかけて。届くこともないだろうけど。

 

 

あ、と発して「」

 最近、すこしぼーっとしていたり、あまり覚えていない時間というのが増えた。そんなこと、今までを考えれば当たり前のようにあったことだし、とりわけ驚くことではないのだが、あまり最近は起こっていなかった。だから、何か変な気がした。

 離人症なんですか、それとも感覚鈍麻ですか? 聞かれてもしゃきっと回答はできない。何か分からないものだから。よくあること、って思いこめばそれは無になってなかったことにならないのか。

 なかったことにするとかしないとか、そういう話が流行ったとき、偽りの記憶という話も流行ったような気がする。ひどい経験、例えば性的虐待とかも催眠によって作られた記憶であることもあるという。本当に抑圧された記憶なのか、誘導によって作られた記憶なのか、見極めるのは難しい。これは嘘とは違って、話す人は本当だと考えているからだ。

 人の記憶は時間とともに変動して、全て覚えていることなど不可能で、過去は全て虚偽記憶なのかもしれない。だから、どこによりどころを持っていくか分からない。都合の良いように解釈しているだけかもしれない。自分の良いと思うことだけで固めているのかもしれない。 

 疑っている我だけは本物、とかいってもじゃあ我の定義って? 我って誰なんだよってことになる。疑っていても、疑うこと自体に思惑があって、あると思ったものにも何か別のものが混ざりこんでいるとしたら。何も正確なものなどない。よりどころなんて存在しない。論理の飛躍かもしれないが。

 そんなこと関係なしに、何か信じればいいじゃん、得体のしれないものだろが肯定すれば、思想は終わるじゃんって、彼女は言う。僕はそんなことで解決できない人間なんです。彼女のほうがまだ幸せなんでしょう。でも、僕は救われたいとは思っていません。何もなくても、弱いだけで、ただ生き残ってしまって、敗北してるって分かりきってる。生きている人間は、死にそびれた人なんでしょう。彼女は勝手に救われたらいい、僕はそれを拒絶するだけだ。

 どこにでもいて、どこにでもいない。

 

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ユメウツツ

半分以上うなされながら文字を書く。

熱中症みたいな感覚。とにかく暑すぎる、なんともいえない気だるさがある。

格好良くなれない、このままじゃ。鳥がうまく飛ばなかった、という騒ぎの話ではない。失敗している。

直視できない眩しい存在。どうしても明るい未来、予感。このままじゃ負けてしまう。僕じゃなんともできない。

僕は埋もれてしまう、明るい未来も、輝かしい栄光も、全部君が適任で。

そんなことないって、ある人はなだめるだろうが、そんな言葉に意味はないくらいに堕ちたものだ。

ユメウツツ、どうせ朝になったら忘れる。それまで辛さを持ってればいいだけだ。

歯医者に行った

お題「今日の出来事」

 2年振りに歯医者へ行った。

 最近、ある老人の歯医者に付き添ったのがきっかけだ。ある老人は歯は丈夫であり、唾液の出るほうであったため、定期的に検診に行けばなんら問題のない歯であったのだが、認知症を患ってからは、歯医者に行ったことはなかった。

 最近、老人は介護老人ホームに入所し、歯医者も訪問してみてくれるということで、歯を見てもらった。すると、前歯に大きい虫歯があり、神経を抜く必要が出た。そのため、老人を歯医者に連れて行かなくてはならなくなり、歯医者に付き添ったということだ。その縁で、私も歯医者を予約し、久しぶりの歯医者へ行ったのだ。

 やはり、二年分の汚れは溜まっていた。といっても、以前行った歯医者というのは歯を削るのが趣味のような歯医者で、虫歯を削られた思い出しかない。(ある地区の歯医者人気ランキングを調べると必ず上位にある歯医者だったのだが)実質、清掃のための歯医者に行ったのは3年振りくらいかもしれない。

 そのため、歯石を除去するのに1時間くらいかかってしまった。この記事を書いている時も、なんだか歯が浮いたような感じがして、歯がむず痒い。とりあえず、人に甘噛みしたくなってしまったが、仕方なく眠気覚まし用のガムを噛みながら、記事を書いた。

 歯を削って治療するというのは、初期虫歯であれば、最近はあまり行われないことを知った。削ってしまうと、またそこから虫歯になってしまうし、歯に負担がかかるからだそうだ。進行止めを塗り、歯磨き指導をした方が良いらしい。せっかく良い歯だから削らないで歯磨きを頑張ってくださいと言われた。

 老人の歯の治療は後、三回ほど通わないと終わらないそうであるが、私の歯の清掃は1回で終わった。次は半年後の定期健診でよいそうだ。自分の歯の清掃中に隣の患者の話がちらっと聞こえてきたが、それによるとその人はかなりの虫歯であるが、歯医者的にはできれば削りたくないので、まめに清掃のために通ってほしいという内容だった。いい歯医者だなと感じた。なぜなら、削ってしまった方が、歯医者としては簡単であるし、また報酬というのも大きいからだ。患者のことを考えているんだなと思った。ここなら、老人を任せても大丈夫だろうな安心した。本当はもう一人の老人にも歯医者に行ってもらいたいが、それは難しいだろう。

 老人は比較的家柄が良く、幼少期から積極的に歯医者に通っていたようで、今回の治療に関しても、歯医者に行ったときはあまり抵抗がなかった。(訪問治療の時は、日常空間に歯医者が来て、それが理解できずに騒いだそうだが)しかし、もう一人の老人は若い時はかなり苦労されていて、歯医者などろくに行ったことがない。できれば歯医者に行ってほしいのだが、周りの意見を聞かない方であるし、今までのことを考えると難しい。今はまだ、軽度の認知症でしかないし、歯の状態もそこまで悪くはないが、糖尿病を患っていることを考えると心配だ。老人も奇跡的に唾液の分泌量が多かったために、前歯の虫歯だけで済んだが、その老人も糖尿病を患っているので、危ないところであった。認知症歯周病の関連もあるし、また糖尿病を患っていると、傷が治りにくなるので、かなり悪い状態である。

 歯って考えているより重要であるし、手間のかかる問題である。私がいくら思考しようが、もう一人の老人は言うことを聞かないだろうが。

底に沈めて見えないほどの

 いつも通り集会所に行くと、心地よいキーボードの操作音が聞こえる。部屋の管理人の音だ。管理人は何を仕事にしているかはよく知らないけど、事務職をしつつ、悪い社会と戦っていると噂では聞く。私はそんな管理人を尊敬している。

 

 集会所には、本棚に詰め込まれた大量の資料、印刷機、作業をするための大きいテーブル、業務用の印刷機がある。それと、くつろげるソファーがあって、私しか集会所に人がいないときは大抵そのソファーでくつろぐ。広いソファーだから、人が横たわることもできて、少々行儀の悪い格好で仮眠を取ることも多い。

 大体、私が集会所に行くときというのは、疲れているときが多く、作業をしにいっているのか、くつろぎにいっているのかよくわからなくなることが多い。ただ、空調は管理されていて、自宅よりも快適度は高い。私はそんな集会所が好きだ。第二の家なんじゃないかなと思っている。

 

 集会所には、大体同じメンバーが集うことが多い。開かれた場所ではあるが、用事のある人っていうのは決まってきてしまい、どうしても似たりよったりのメンバーが集まる。だけども、管理人に用がある人、資料を借りに来た人、メンバーとお話がしたい人、など様々な人がいる。私はなぜ集会所に通っているかはよくわかってない人だ。なんとなく居心地が良いような気がして、作業をするために集会場に通っているはずなのに、多くはくつろいで帰ってしまう。そうじゃないんだけど、って思い返し、行くの辞めようかなとも思ったことがあったのだけど、結局戻ってきてしまった。完璧な健康を手に入れたら通わなくなるのだろうけど。

 

 管理人と知り合って1年以上が過ぎたが、私は管理人がどんな人物であるかうまく伝えることはできない。芯はしっかりあって、そう簡単には触れられない闇は確実に存在して、それが管理人の活動するためのエネルギーになっていると思っている。その闇に事故として軽く触れてしまったことが一度だけあるが、正直、ただの個人が持つものにしてはひどすぎると思った。それで、事故ではあったけども話のさわりだけは聞いたが、これがリアルに降りかかったら、廃人になってもおかしくはないな、というものであった。私は管理人が人間として生きているのが不思議だし、活動家としてエネルギーを使うことができてすごいなと思っている。

 管理人の眼光は鋭い。ただ、表向きは優しい感じで、やわらかい。おそらく本質の管理人をほかの人は知らないから、軽い感じで話にいけるのだろう。私は事故ではあるものの知ってしまった人であるので、簡単には近づけないと思っている。尊敬できるし、格好いいなとは思うけど、仲良くはなれないだろうと勝手に線を引いてる。管理人に本気で触れるのが怖いし、もし嫌われたりしたら、ただでは済まないだろうなという恐怖感のほうが大きいのだけれども。

 

 事故は、私が頻繁に集会所に通っていた時に起こった。その時、私はほかに行くところもなくて、集会所くらいしか居場所がなかった。そのときは他のメンバーは忙しくて、あまり集まれなかったけど、私と、少し年上の女性はよく集会所に入り浸っていた。

 少し年上の女性は、博識な人で、なぜこんな小さな集会所のために知識を使ってくれるかわからなかったけど、なんとなくいい人だなあと思っていた。その女性も深い人生観を持っている人で、会う頻度が高かったので、おそらくほかのベテランメンバーにも話していないだろう話を私にしてくれた。冤罪被害に遭った話から、自宅に盗聴器を仕掛けられた話、インターネット依存症に陥ったことのある話しなど色々な体験を語ってくれた。

 私はどちらかというと、自分自身の過去の弱さについて語る人には慣れているというか、そういうことを趣味にしていたこともあったから、なんとか話を聞くこともできたのだけど、慣れない人がもし聞いたとしたら少し重いだろうなあということを立て続けに話した。私もいやではないとはいえ、まとめてというのは少し辛く、途中からはあまり感情移入しないようにして話を聞いた。

 どうやら、それが女性に伝わってしまい、喧嘩になってしまった。仕事をしているとはいえ、騒ぎに気付いた管理人が私たちの言い分を聞いてくれた。その時、管理人は女性に対して冷酷に「君のせいで、何人辞めたと思っているんだ」と言った。また、何かその女性をあおるような言葉を比較的冷静に発し、その女性は逃げるようにして帰っていった。私は、管理人が彼女に対してなんと言ったか聞き取れなかったけども、相当なことが起こっているのだろうとは感じた。

 私と管理人だけが集会所に残され、二人でソファーに並んで座っていた。管理人は私の目を見て、「巻き込まれやすいんですね」といい、仕事に戻ろうとした。さすがにそのまま帰るのが嫌だったから、私は管理人に突っかかった。何か非合法な手を使っていませんだとか、私と女性の喧嘩だったのだから、仲裁に入らなくてもよかっただとか、あおるにあおった。私もイライラしていたのだと思う。そうすると管理人は壁越しに私に語りかけた。まず、女性の素性について。女性はトラブルメーカーで、他のメンバーから避けられていること、大体新入りかあまり見かけない人を見かけると、あることないことを話したりすると。ただ、ここは去る者は追わず来る者は拒まずというスタイルだから、女性を追い出すつもりはなかったと。ただ、少し言い過ぎたかもしれない、それは大人げなかったと言われた。また、管理人のことも少しだけ聞くことができた。そこには、喧嘩っ早い管理人の過去があって、今までのものをすべて捨て去ったうえで、悪い社会を変えるための運動をしているといった趣旨の話も含まれていた。

 賛否は考えないとしても、活動動機や、考え方、行動が私にとっては末恐ろしいと思わせるものがあった。何もしなかったら被害に遭うこともないし、ただの何考えているかわからない人であるが、本気で関わったうえで裏切ったり、ぶつかったら恐ろしいエネルギーをもってぶつかってくるだろうと思った。それは、先ほどの女性が霞にしかみえないほどのことである。

 

 管理人は一通り話すと、集会所の閉所時間になってしまったので、私は集会所を後にした。家に帰ってから、私は一日の出来事を振り返ったが、濃すぎると思った。そして、管理人に対しての印象もガラッと変わった。相当に恐ろしいなと。

 

 ただ、それが起こってからも表面上はなにも変わらなかった。私は集会所に入るとき、こんにちはと挨拶し、帰るときは、お疲れ様でしたという。それは変わらず、基本的に会話はそれ以外しない。私が話しかけない限りは、そのほかの会話は発生しない。 

 今日も集会所に行った。おかしなことがいろいろ起こったはずなのに、居心地は相変わらずによかった。まだ、私は不健康なんだろうと思った。健康な人に集会場みたいな場所はいらない。そんなところで休まなくても問題ないからだ。よくも悪くも、ここは吹き溜まりで、変わらない優しさがいつでも横たわっている。

ごとーさんのこと

  ある活動家に恋をしました。

 彼は一回り、いや二回りも離れていた大きな存在でした。ぼんやりしているところもあったけど、どこかに納得させる大きい背中がいつも私の前にはあったのです。

 彼は寡黙な人でした。おそらくですが、彼は見かけより小さい存在であることを仲間に知られたくなかったのだと思います。彼はいつの間にか地位を築きあげていました。仲間は才能があるからだ、と言っていましたが、彼は努力を人一倍していたのだと思います。彼は多くを語らないので、真偽は闇の中ですが。

 ある時、彼と二人きりで飲みにいきました。彼はいつも通り何も語らないだろうと思っていました。しかし、突然私の方を向いて、「付き合いたい」と切り出したのです。彼に好意的に思われているとも思っていなかったので、戸惑いました。私は先輩として、活動家としての彼はとても好きだったのですが、恋愛のことなど全く考えていなかったものでしたから。

 私は彼の好意には答えられないが、先輩として、活動家しては好きだということを伝えました。彼は、君はそういう人だろうと思っていたといわれました。少し、ドキッとしました。私は、人に対して当たり障りのない答えを返すのがとても得意で、それが見抜かれたのか? と思ったからです。

 私は誰からも嫌われたくはない、でも彼も話さないという手法を使っているだけで、根は同じなんだろうなと考えていたので、彼のことを恋愛的に好きになることは難しいだろうと思いました。同族嫌悪みたいなものでしょうか。そのときは深く考えてもいなかったのですが。

 彼は、仲間の不祥事が重なるたびに変わっていきました。おかしな方向へ進んでいったのです。彼は活動のリーダー的存在だったのですが、リーダーを務めようとはしませんでした。しかし、リーダーが死んでしまい、彼が活動を主導することになったのです。

 それからは、彼の姿を見ることが少なくなっていったのです。しかし、仲間は誰もリーダーをやりたがりませんし、彼の判断は間違ったものではなかったので、彼が会に顔をあまり出さなくなったことは誰も咎めませんでした。彼は代わりに私を伝言役として使うようになりました。私は会の中にあまりなじめていないほうだったので、とても大変な思いをしながら、彼の代わりを務めました。会は男性の方が多く、女性であった私は、よく睨まれたものです。なぜ、彼の指名する代理が私なんだと。それは私も分からなくて困っていたことなのですが、私は代理を務めるだけで精一杯で、弁解するゆとりも、話せる人もいませんでした。

 私は次第に活動に対する情熱を失っていき、会をやめようかと考えていました。彼とは普段、手紙でやりとりしていました。急ぎの要件の時のみ、電報を利用しました。彼は通信機を持つのが苦手だったようです。連絡の取りようがなかったので、私は彼の家に行くことにしました。

 彼のアパートに彼の姿はありませんでした。たまたま出かけていたということではなく、彼の抜け殻と二通の置手紙が残されていたのです。置手紙は、会の人に向けた内容と私に向けたものがありました。会の人に向けた手紙には、これ以上会を仕切ることはできない、と簡単に記されていました。一方、私に向けた手紙には、簡素であるものの重大なことが記されていました。ここに書き示すことが出来ないことです。

 その手紙を読んだとき、私は彼のことが好きだったんだなということ気付きました。しかし、それは当時の世では珍しい形態になってしまうことになり、彼の告白は意を決したことだったようです。単に歳の差だけではない、重大な問題が含まれていたのです。早かれ遅かれ、それがばれたら私たちは会を追放されていたでしょう。彼はそれを感じ取り、私を代理で使い、会と距離をとっていたのです。

 しかし、私のことを大切に思うなら、私も連れて行ってくれたらよかったのに、とも思いました。これは願望です。

 彼に会うことはもうできません。私は彼の抜け殻の一部と、遺した手紙を大切にとっておくことしかできそうにありません。いつか、彼が帰ってきたら戻る場所を作っておきたいと思います。次は活動ではなく、人と人とのつながりとして。

 彼のことが好きでした。彼を失ってから、彼に対する独占欲がむくむくと膨れあがって、どうしようにも抑えることが出来ません。結局、会に宛てられた手紙を会の人に渡すこともできず、私も彼と同じように会を去りました。私は、彼のことを探そうとは思いませんが、待っていようと思います。