銀河の淵

安酒を呷って少しだけ夢を見た。
昔のことが入り乱れるのはいつものこと。そういうのに注視する必要はない。普段と違うところを探さないといけない。何がいつもの夢と違うのか。僕は海を泳ぐ。しばらくすると、意識がブラックアウトしていくのがよく分かる。しかし僕はまだまだ泳げると思っていた。だから、遠くまで泳ごうとした。
泳いでも泳いでも何かにぶつかる気はしない、いい加減に足がもつれてきて、疲れて休憩でもしようかと思ったのに。
溺れないように背泳ぎに体勢を整える。とりあえず無駄なことをしなければ浮くことはできる。幸いにも波はゆるやか。なんとかなりそうだ。
天を見上げる、真っ暗でどこまで広がっているなどわからない。これが僕の世界の1つ。嫌でもたまに見にくる。海は生温く、僕をよく沈める。

昔話、今の事案、どちらかわからないけど泳ぐと少しずつ輪郭を帯びてくる。よく見ようとした。足がもつれる、溺れる、死ぬかもしれないと少し危機を感じる。いや、もうすでに死んでいるではないか。そんなことはどうでもいいと考え直す。

写し鏡のように物語が浮かび上がる。息をうまく吸えないまま僕はその物語に浸る。これは後悔の色味。

僕は無意識に彼を壊していた。受け身になれればいいのに、発言する側になることしかできない。そんな私情のもつれ。もつれる、溺れる。息ができない。悪意などどこにもない、子どもだ、若さしかない。しかし、これは海に漂わせようとも取り返しがつかない話。

と思ったらいきなり引き戻された。誰だかわからないが明らかに人為的。とりあえず息はできる。塩の味しかしないしずいぶん気持ち悪いが。目を覚ます。散らかった室内。無秩序に置かれている臓器の模型。ボールペン、ルーペ、テキスト、狂犬病のチワワ、批評理論、炊飯器、眼鏡、Tシャツ、モチモチのシベリアンハスキー、意識が散乱している。

歪んでいる、少し飲み直そうと彼は思う。いや、少しばかりの鎮痛剤で良いとも思う。彼はいつもの薬品に手をかけ、いつも通りに飲み干す。身体にまわるまでの15分、手持ち無沙汰で銀河の淵を少し切って。痛いような痛くないようなよくわからない感覚に浸される。
薬品が身体にまわる、視界がはっきりとしてくる。不在の誰かを考える。今日は動いていたのだろうと思考する。

とてとて、幼い足取り。つたつた、緩やかに伸びる。水を与えるものはいない。

春の日

時間を戻したい、そんなことをあんまり考えたことはないけれども、もし戻せてしまったら。そんな体験をしてしまった。

あの時あの場所に存在した感覚に、嫌な気持ちになることなく穏やかに戻っていった。

 

 時間の変化で人は変わっていきます。変わることに安堵を覚えますが、変わらないことにも安堵を覚えました。例えば、老舗の料亭の看板メニューの味が毎度変動したら困惑するでしょう。それと似たようなことです、世には変わらなくてもいいものもあるかもしれません。

 

お茶をご一緒しました。どうやら気を遣って、彼の昔の好物を出してもらって。好物というのは変動するものでもありますが、そういう些細なことを覚えていただけるのは少しだけ嬉しいような気もしたそうで。まあ、彼は気のせいだといっているのですが。

 

昔話に花が咲きました。単刀直入に過去についてコメントされたりもしました。関係が浅くはなかったので、それについて嫌な気持ちにはならなかったそうです。彼は昔について深くは覚えていません、しかしそれはエピソード自体を覚えていないだけです、実は感情、感覚は手に取るように思い出せたりするのですが、それを人前で披露することはないでしょう。無意識に避けているのです、これ以上大切な人に余計な迷惑をかけたくはないと。迷惑自体はかけてしまうことはどうしようもないにしても、あまり心配はされたくはないと。

 

覚えていない、というのは罪かもしれません。ずいぶん昔のことですが、一人の人間を深く傷つけてしまったことがあります。彼の身勝手が原因ではあるのですが、被害者というのは、そのことを気にも留めていなかったのです。彼は勝手に後悔し、長い時間を灰色としたそうで。双方が覚えていないと無駄になってしまうんだ、出来事なんて。などと思った時もあったそうです。

 

そんなことを言っておきながら彼も大切なことを忘れていたのです。

「――のこと好きだったんでしょうね」

一人の人間について深刻になりすぎていて、他者への無意識の愛を覚えていなかったなんて。その方とはいろいろな話をしました。当時にしか生まれなかった言葉もあるでしょう。お互いに守るものというのが明確にはなっていなかった頃です、今同じことは絶対に言えないでしょう。まだ互いに不安定さから抜け出せてはいなかったのです。

 「息をするのも面倒くさい、って言ったことがある」

その言葉は当時の彼には衝撃的でした。彼も生きたいとは思ってはいなかったけれども、他にもそんなことを思ってまだ生きている人がいるとは思ってもいなかったからです。彼が尊敬していた人はすでにいない人であり、つまり物語を自分の意志で完遂した人々だったのです。

ある人は彼の言い分にじっと耳を傾けていました。彼は大変すぎる日々から多少は救われたのでしょうか。彼のことを呼び捨てで違和感なく呼べる人などそんなにはいないでしょう。

そんな大切な人のことを彼はあまり意識していなかったなんて、彼は変わった人です。変なところでは律儀です。覚えていたらもう少しは連絡を取ったことでしょう。

いや、違うのです。実のところ彼は覚えてはいたのですが、迷惑をかけまいと、その人の前から去っていたのです。そして、それが長く続き本当に忘れてしまっていた。相手の思い、おせっかいにより、ようやく思い返せたのです。大切だった、ほんのひと時の穏やかな時間を。

 

 彼はある人の思い出話に肯定も否定もしませんでした。覚えていないふりをしても相手は何とかして真意を読み取ってくれるだろうと、甘えたからです。

 

 他愛のない温かみのある時間はあっという間に去っていきました。相手にとっては深い意味を持たなかったとしても、彼の中には雪解けのための言葉として存在し続けるのです。

 

テキストボックス

 少しだけ昔の話、私たちがまだ宇宙だった頃。誰かに捧げたかった言葉。

 

 ふと、物語の断片を拾う。断片なんて言い方は好きではない。でも、それしかうまく言う方法はなかった。断片、まとまっていないもの。未分化のもの。私たちはそれらを拾っている。拾ったものを言葉にする力などない。ただ、溜まっていくだけだ。誰が撒いたものかも分からない。例えば、物語とも言えない何かのひと時。気持ち悪い、受け入れられない、そんなの関係ない。物語は私たちに迫る。選択をと。

特定できない私たちの箱庭。箱庭では長い時間を過ごしている。終わりのない途方もない時間。イメージは言葉にまだなっていない。ただ、時間は流れる。言葉にならないものがずっと溜まっていくだけ。心的イメージはどこへ。

物語る、誰か。私たちの産みだした存在ではない。耳を傾けてみる、穢い言葉。それらが私たちの底だった。箱庭なんてハリボテで、存在しない楽園。同じ絵を繰り返していただけ。物語る何かは日に日に大きくなっていく。穢れている、消えてほしいと思っても真実だけを映している。心的イメージを鏡に映しているみたいだ。それは誰が観測しているのでしょうね。

新しい絵を創り出せばいい。そうすれば真実というのも歪む。都合の良いものになる。今までは、取り残されていただけ。星の瞬く間に、願いを込めて。

 

 箱庭は消え去り、無力な僕だけが残された。星々はいつもと変わらず輝いているのに、僕だけが変わってしまった。断片は味付けされて、添加物をたくさん使い、過剰包装されていた。遠い未来に託すみたいに。僕が信用されていないだけ、僕がちゃんとしていれば箱庭を守ることだってできた。僕は本物の存在であり、偽の存在でもある。どこを信じるかは人次第でしょう。信用するなら信用すればいいし、胡散臭いと思うならそれだけのこと。思い込みの力というのはすごいですよね。どちらにも転ぶことができる。

 

 彼のことを信じることができない。彼が嘘をつかないということは分かっているのに、信じられない。嘘つきの方が信じられるってどういうことだか分からないけど。「嘘つきは泥棒の始まり」とかいう人がいたけど、今は嘘を吐いてもらった方が、よっぽど楽だ。少しだけ、痛みから逃れられるような気がするからだ。一時しのぎでしかないものか、真実だったら、今は一時しのぎでいい。彼の言葉を受けとめる力が戻るまでは、少しだけ夢を見たい。偽物にまみれていたとしても。

 

 箱庭は夢でした。この世に存在するものではなかったのです。宇宙みたいに遠いものでした。誰の言葉が本当だったかなんて、わかるはずないのです。だけど、真実を追い追い求めるものと断片を求めるものが混じってしまった。それは最悪でした。夢にしてしまいたい。全てなかったことにしたい。それを言う暇もなく、全ては消え去って堕ちていった。悲しいんだか、怒りたいんだか、よく分からないです。名前をつけることもできそうにないです。「箱庭」などとありふれた名前でしか呼んであげられなかった。後悔ではないんですけど、ぐるぐるしていて。選択できなかったということ。

 

 誰の言葉でもなく、誰の言葉でもある。覚え書き、fragmentaryな世界観。

おめでたい脳と断片

 人それぞれの人生があるというけれども、それはそれでよく分からなかった。 

 

 先日、5年振りに遠目で様々な方に再会した。イメージと変わらない人や、すごく変わった方。話しかけていない人が大半なので、ガラッと変わった人には気づけていないのだろう。

 彼のことも気にかけていた。友人の友人なので直接的に話すことができないにしても、少し声を聞くことはできた。

 たくさん話した過去の時間を思い返す。毎週のように問題を作っては考えるという遊びをしていた。それを簡潔にまとめると、相談、共有しなくてもよく個人で考えることをむやみやたらに話して、勝手に傷付いていただけのことだ。あまりよくはなかったが、目に見えるトラブルというものを求めていたような気がする。

 僕は、周りの人に乗せられ、暗黙のドレスコードを守った服装を身に着け、中身のない時間を過ごしていた。騒がしい人、話を聞かない人、勝手に言葉から連想されたことをしゃべり続ける僕。混沌としていた、どうふるまうのが正しいのか分からなかった。

 久しぶりに彼と面と向かって話をしようと思った、しかしそれは無理だった。聞きたいことが多すぎて、どこから話すべきか整理できなかった。今時、連絡アプリを使えば話をすることもできるが、それすらも怖い。感情を言語化することはできるし、むしろ連絡アプリを使えば落ち着いて話ができるような気もするが、なぜかそんな気にはならない。一人で、鬱になりそうな曲を聴いて思考し、泣いていたほうがましだ。

 帰ってから、何かから逃げるように、過度の睡眠を取った。どれくらいの時間眠っていたかはわからないが、半日以上は眠っていただろう。やるべき事が終わってなかったので、時間の浪費でしかなかったが、わけのわからない物語を言語化できるくらいには落ち着いた。

 彼は僕の理想の体現だった。持っていないものをすべて持っているように見えた。それは幻想で、彼だって欠けているところがあるのはわかっていたけど、それにすら美を感じた。それくらいとち狂っていた。

 彼のことはもう考えることはないだろう、再会しない限り。会わないほうが僕的には助かる。今だけを考えることができるから。

 おめでたいように、僕だけは同じところにいて変われない。

 

ある季節のこと

またあの子のことを思い出し、冬だなと思うけど、そんなことを思考しているうちは何も変わらなくて、僕は勝手に彼女の思想に対し、手紙を送ろうと思います

 

熱々のおでんを寒空の下で食べる。冬到来、ある帰り道を思い出す。あの時の木枯らしと同じみたいだ。懐かしい曲が流れる、5~6年前のアニメソング。ある声優のキャラに親しき人の声が似ていたことを思い返す。少し真似をしていたのかもしれない。キャラと親しき人も似ていた。そんな年頃だったのだ。刻み込まれた物語を読み込んで、ある季節を原色のまま感じる。もう一度、もう二度言えない言葉。言えないものが積み重なって、それは刻まれていた。だから、今も原色のまま残っている。記憶から人の情報が消えていくとき、1番最初に思い出せなくなるのは声だそうだ。たしかに、二度と聞けない声を覚えておくのは難しい。僕は物語に託して、親しき人の声を覚えておくことにした。きっかけみたいなものだ。同じ原色、風景、物語が繰り返されることはあり得ない。勝手に類似点を見つけて、均質化しているだけだ。細かいところに気付けなくなっている。二度と会えない人の幸せを祈る。僕は愚かだ。目の前の人を救うことは放棄している。熱々のおでんを寒空の下、帰り道に食べた時のことが永遠で、今のことは瞬時に流れる取り留めのないことばかりだ。

 

圧倒的な天才に思いを馳せる。彼はアマデウスみたいな人だ。まわりのサリエリを開花させまくってる。だけど、どれだけ咲かせても彼を超える人は現れないような気がする。

僕も彼に引っ張られた人のようなものだ。彼を見て、消えかかった物語が少しだけ咲き返した。彼にとってのサリエリにすらなれていないけど、こんな僕を彼は敬意を持って接してくれる。圧倒的にアマデウスでしかないと思っている。彼は天才だ。だからある意味で孤独だ。僕は孤独を選ぶが、彼は彼の思想についていける人がいない。どうしようもなく孤独になってしまうだろう。それすらも乗り越え、まわりのサリエリ達に優しく接する。僕は意地を張ってるだけだ。彼の圧倒的ゆとりが羨ましい。

 

過去のことをぐるぐる考えて、多少物語にするくらいしか能がないのに、彼はどんどん先に行って。どうしようもない莫迦だ。

 

親しき人も、彼のことも超えられるわけはなく、僕は相変わらず底辺みたいな生活を送っています。かといって本物の絶望を知っているわけでもないのでしょう。生ぬるいのでしょう。僕の存在というのは。彼らに比べれば。

 

今年も冬がやってきて。また熱々のおでんを食べた。少しだけ風景は変わった。アマデウスの見る風景を知るわけないし、想像もできないけど、僕は彼を追いかけて。届くこともないだろうけど。

 

 

あ、と発して「」

 最近、すこしぼーっとしていたり、あまり覚えていない時間というのが増えた。そんなこと、今までを考えれば当たり前のようにあったことだし、とりわけ驚くことではないのだが、あまり最近は起こっていなかった。だから、何か変な気がした。

 離人症なんですか、それとも感覚鈍麻ですか? 聞かれてもしゃきっと回答はできない。何か分からないものだから。よくあること、って思いこめばそれは無になってなかったことにならないのか。

 なかったことにするとかしないとか、そういう話が流行ったとき、偽りの記憶という話も流行ったような気がする。ひどい経験、例えば性的虐待とかも催眠によって作られた記憶であることもあるという。本当に抑圧された記憶なのか、誘導によって作られた記憶なのか、見極めるのは難しい。これは嘘とは違って、話す人は本当だと考えているからだ。

 人の記憶は時間とともに変動して、全て覚えていることなど不可能で、過去は全て虚偽記憶なのかもしれない。だから、どこによりどころを持っていくか分からない。都合の良いように解釈しているだけかもしれない。自分の良いと思うことだけで固めているのかもしれない。 

 疑っている我だけは本物、とかいってもじゃあ我の定義って? 我って誰なんだよってことになる。疑っていても、疑うこと自体に思惑があって、あると思ったものにも何か別のものが混ざりこんでいるとしたら。何も正確なものなどない。よりどころなんて存在しない。論理の飛躍かもしれないが。

 そんなこと関係なしに、何か信じればいいじゃん、得体のしれないものだろが肯定すれば、思想は終わるじゃんって、彼女は言う。僕はそんなことで解決できない人間なんです。彼女のほうがまだ幸せなんでしょう。でも、僕は救われたいとは思っていません。何もなくても、弱いだけで、ただ生き残ってしまって、敗北してるって分かりきってる。生きている人間は、死にそびれた人なんでしょう。彼女は勝手に救われたらいい、僕はそれを拒絶するだけだ。

 どこにでもいて、どこにでもいない。

 

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ユメウツツ

半分以上うなされながら文字を書く。

熱中症みたいな感覚。とにかく暑すぎる、なんともいえない気だるさがある。

格好良くなれない、このままじゃ。鳥がうまく飛ばなかった、という騒ぎの話ではない。失敗している。

直視できない眩しい存在。どうしても明るい未来、予感。このままじゃ負けてしまう。僕じゃなんともできない。

僕は埋もれてしまう、明るい未来も、輝かしい栄光も、全部君が適任で。

そんなことないって、ある人はなだめるだろうが、そんな言葉に意味はないくらいに堕ちたものだ。

ユメウツツ、どうせ朝になったら忘れる。それまで辛さを持ってればいいだけだ。

歯医者に行った

お題「今日の出来事」

 2年振りに歯医者へ行った。

 最近、ある老人の歯医者に付き添ったのがきっかけだ。ある老人は歯は丈夫であり、唾液の出るほうであったため、定期的に検診に行けばなんら問題のない歯であったのだが、認知症を患ってからは、歯医者に行ったことはなかった。

 最近、老人は介護老人ホームに入所し、歯医者も訪問してみてくれるということで、歯を見てもらった。すると、前歯に大きい虫歯があり、神経を抜く必要が出た。そのため、老人を歯医者に連れて行かなくてはならなくなり、歯医者に付き添ったということだ。その縁で、私も歯医者を予約し、久しぶりの歯医者へ行ったのだ。

 やはり、二年分の汚れは溜まっていた。といっても、以前行った歯医者というのは歯を削るのが趣味のような歯医者で、虫歯を削られた思い出しかない。(ある地区の歯医者人気ランキングを調べると必ず上位にある歯医者だったのだが)実質、清掃のための歯医者に行ったのは3年振りくらいかもしれない。

 そのため、歯石を除去するのに1時間くらいかかってしまった。この記事を書いている時も、なんだか歯が浮いたような感じがして、歯がむず痒い。とりあえず、人に甘噛みしたくなってしまったが、仕方なく眠気覚まし用のガムを噛みながら、記事を書いた。

 歯を削って治療するというのは、初期虫歯であれば、最近はあまり行われないことを知った。削ってしまうと、またそこから虫歯になってしまうし、歯に負担がかかるからだそうだ。進行止めを塗り、歯磨き指導をした方が良いらしい。せっかく良い歯だから削らないで歯磨きを頑張ってくださいと言われた。

 老人の歯の治療は後、三回ほど通わないと終わらないそうであるが、私の歯の清掃は1回で終わった。次は半年後の定期健診でよいそうだ。自分の歯の清掃中に隣の患者の話がちらっと聞こえてきたが、それによるとその人はかなりの虫歯であるが、歯医者的にはできれば削りたくないので、まめに清掃のために通ってほしいという内容だった。いい歯医者だなと感じた。なぜなら、削ってしまった方が、歯医者としては簡単であるし、また報酬というのも大きいからだ。患者のことを考えているんだなと思った。ここなら、老人を任せても大丈夫だろうな安心した。本当はもう一人の老人にも歯医者に行ってもらいたいが、それは難しいだろう。

 老人は比較的家柄が良く、幼少期から積極的に歯医者に通っていたようで、今回の治療に関しても、歯医者に行ったときはあまり抵抗がなかった。(訪問治療の時は、日常空間に歯医者が来て、それが理解できずに騒いだそうだが)しかし、もう一人の老人は若い時はかなり苦労されていて、歯医者などろくに行ったことがない。できれば歯医者に行ってほしいのだが、周りの意見を聞かない方であるし、今までのことを考えると難しい。今はまだ、軽度の認知症でしかないし、歯の状態もそこまで悪くはないが、糖尿病を患っていることを考えると心配だ。老人も奇跡的に唾液の分泌量が多かったために、前歯の虫歯だけで済んだが、その老人も糖尿病を患っているので、危ないところであった。認知症歯周病の関連もあるし、また糖尿病を患っていると、傷が治りにくなるので、かなり悪い状態である。

 歯って考えているより重要であるし、手間のかかる問題である。私がいくら思考しようが、もう一人の老人は言うことを聞かないだろうが。