アイデンティティーの確立

  私は日常生活で「アイデンティティーの確立」という単語をよく聞く。私にとってはそれは日常で、何の疑問も持たないのだが、一般的にはあまり使わない言葉らしい。

 ということで私なりの「アイデンティティーの確立」の話をしよう。強引すぎるかもしれないが、一度書いてみたかった記事なのでお付き合い頂けると嬉しい。
 
 まず、辞書的にはどのように説明されているのか。様々な辞書で調べたところだいたいこのような意味だった。
自分が自分であることの根拠を意味し、それを確立するには他者による承認が必須である。
 
 子どもの頃は、周囲の大人たちの言うことに従い、理想の人物の行動をまねていたらそれでよかった。しかし、青年期にはまねをする人を自分で選び直し、自分で自分のあり方や理想を改めて決定し直すことを迫られる。そして周囲の人に新しくなった自己を承認してもらうと、アイデンティティーは確立できる。
  1. 自分がどういう存在であるかということを知る
  2. どのように一貫性を保っていくか自分で決める。
  3. ①と②を他者に認めてもらうこと。
①〜③を全てクリアするとアイデンティティーが確立すると考えている。
 
 しかしこれはかなり唐突な話である。今までは、自分は自分であって、これまでもこれからも着実に人生を歩んでいくと思っていたことなどを急に脅かされるのである。この危機を乗り越えるのは容易ではない。確立できなかったらどうなるのか?説明しよう。
 
 アイデンティティーの確立の対義語はアイデンティティーの拡散だ。それは、自分が何者であるかが見失われ、将来の見通しもつかず、あらゆる役割を拒否する状態だと。
青年期のどろどろした感情はこれが原因なのかもしれない。知り合いの高校生が書いた、作文にこんな一節があった。
 

最近何からも逃げてばかりだ。嫌なことがあると先延ばしにして、逃げて、投げ出す。プライドばかりが高くなっていって、自分の利益だけを考えて動いている気がする。しかし、まわりの人からは優しい、親切だと言われる。その度に何かが心に引っかかる。自分がなんだか分からない‼︎

 
読んでいるとなんだか私も苦しくなってくるのだが、知り合いはこう言うのだ。自分が何者か分かっていなく、迷っているのだ。割と子どもの頃は優等生だったのだろう。だからこのように迷っているのかもしれない。
ただ、彼女には救いがあるように見える。まだ、彼女には感情がある、プライドもある。挫折もあるが、希望はある。きっと成長できる。これはとっても無責任な考えだが。