rain day

「梅雨」ー北海道と小笠原諸島を除く日本、朝鮮半島南部、中国の南部から長江流域にかけての沿海部、および台湾など、東アジアの広範囲においてみられる特有の気象現象で、5月から7月にかけて毎年めぐって来る曇りや雨の多い期間のこと。雨季の一種である。
「青」ー基本色名のひとつで、晴れた日の海や瑠璃のような色の総称である。青は英語のblue、外来語のブルーに相当する。寒色のひとつ。また、光の三原色のひとつも青と呼ばれる。国際照明委員会 (CIE) は435.8nm の波長をRGB表色系において青 (B) と規定している。
 
 私は、辞書を閉じた。じめじめとした梅雨の一時、雨宿りという名の時間潰しのために図書室にいた。迎えが来るまで、後30分。どうしようか。宿題をやる気にもなれないし、かと言って本を読む気にもならない。先ほど、気まぐれで辞書を開いて見たものの、興味を引くものはなかった。寝て過ごそうかとも思ったが、まわりで勉強をしている人もいるので、そうもいかない。退屈だ。そして、蒸し暑い。
 
 とりあえず、ペンを手に取った。白い紙に、1本のペン。何を表現することだってできる。
「ペンは武器よりも強し」
 誰かがそんなことを言っていた。確かに、武器を使って殺し合いをするよりも、ペンを使って勉強したり、情報を届けたほうがよい。未来にもつながる。言葉の力は世界だって変えられる。
 
 私はいつから、ペンを使って、どうでもよいことを表現するようになったのだろうな。初めてペンを持ったときは、新しさに満ちていて、書くことがとても楽しかった。手を真っ黒ににして、文字を書いていた。いつの間にか、書くことは求められる作業となり、楽しさなどは無くなっていた。
昔のように書く楽しさを取り戻すにはどうすればいいのだろうか。
答えなんて既に分かっている。斜に構えて格好つけるのをやめて、ありのままを表現すればいいのだ。しかし、それがとても怖い。私の心は私だけのものであるのに、それを他者に公開することになるのだ。私の私のための領域に、他者を土足で上がらせることになるのだ。理解されない可能性だってある。別に、表現することに他者の理解など必要ない。だけど、否定されるのが怖い。
 表現は私を救ってはくれないだろう。それでも希望を見い出してしまう。縋りたいだけなのだろうか。人は何かに依存していかないと生きていけないと聞く。どうやら私は生きることに不器用だ。表現することが苦しいと分かっているのに、表現することから離れられない。私は表現に依存しているのだろう。私を救ってくれるわけでもないのに。
 
 携帯が不意に光った。どうやら迎えの知らせのようだ。こんなことは捨ててしまいたい。家に帰ったらきれいさっぱり分からなくなりたい。そんなの嘘。捨てることなんて、できない。私の心を縛り付けている。