底に沈めて見えないほどの

 いつも通り集会所に行くと、心地よいキーボードの操作音が聞こえる。部屋の管理人の音だ。管理人は何を仕事にしているかはよく知らないけど、事務職をしつつ、悪い社会と戦っていると噂では聞く。私はそんな管理人を尊敬している。

 

 集会所には、本棚に詰め込まれた大量の資料、印刷機、作業をするための大きいテーブル、業務用の印刷機がある。それと、くつろげるソファーがあって、私しか集会所に人がいないときは大抵そのソファーでくつろぐ。広いソファーだから、人が横たわることもできて、少々行儀の悪い格好で仮眠を取ることも多い。

 大体、私が集会所に行くときというのは、疲れているときが多く、作業をしにいっているのか、くつろぎにいっているのかよくわからなくなることが多い。ただ、空調は管理されていて、自宅よりも快適度は高い。私はそんな集会所が好きだ。第二の家なんじゃないかなと思っている。

 

 集会所には、大体同じメンバーが集うことが多い。開かれた場所ではあるが、用事のある人っていうのは決まってきてしまい、どうしても似たりよったりのメンバーが集まる。だけども、管理人に用がある人、資料を借りに来た人、メンバーとお話がしたい人、など様々な人がいる。私はなぜ集会所に通っているかはよくわかってない人だ。なんとなく居心地が良いような気がして、作業をするために集会場に通っているはずなのに、多くはくつろいで帰ってしまう。そうじゃないんだけど、って思い返し、行くの辞めようかなとも思ったことがあったのだけど、結局戻ってきてしまった。完璧な健康を手に入れたら通わなくなるのだろうけど。

 

 管理人と知り合って1年以上が過ぎたが、私は管理人がどんな人物であるかうまく伝えることはできない。芯はしっかりあって、そう簡単には触れられない闇は確実に存在して、それが管理人の活動するためのエネルギーになっていると思っている。その闇に事故として軽く触れてしまったことが一度だけあるが、正直、ただの個人が持つものにしてはひどすぎると思った。それで、事故ではあったけども話のさわりだけは聞いたが、これがリアルに降りかかったら、廃人になってもおかしくはないな、というものであった。私は管理人が人間として生きているのが不思議だし、活動家としてエネルギーを使うことができてすごいなと思っている。

 管理人の眼光は鋭い。ただ、表向きは優しい感じで、やわらかい。おそらく本質の管理人をほかの人は知らないから、軽い感じで話にいけるのだろう。私は事故ではあるものの知ってしまった人であるので、簡単には近づけないと思っている。尊敬できるし、格好いいなとは思うけど、仲良くはなれないだろうと勝手に線を引いてる。管理人に本気で触れるのが怖いし、もし嫌われたりしたら、ただでは済まないだろうなという恐怖感のほうが大きいのだけれども。

 

 事故は、私が頻繁に集会所に通っていた時に起こった。その時、私はほかに行くところもなくて、集会所くらいしか居場所がなかった。そのときは他のメンバーは忙しくて、あまり集まれなかったけど、私と、少し年上の女性はよく集会所に入り浸っていた。

 少し年上の女性は、博識な人で、なぜこんな小さな集会所のために知識を使ってくれるかわからなかったけど、なんとなくいい人だなあと思っていた。その女性も深い人生観を持っている人で、会う頻度が高かったので、おそらくほかのベテランメンバーにも話していないだろう話を私にしてくれた。冤罪被害に遭った話から、自宅に盗聴器を仕掛けられた話、インターネット依存症に陥ったことのある話しなど色々な体験を語ってくれた。

 私はどちらかというと、自分自身の過去の弱さについて語る人には慣れているというか、そういうことを趣味にしていたこともあったから、なんとか話を聞くこともできたのだけど、慣れない人がもし聞いたとしたら少し重いだろうなあということを立て続けに話した。私もいやではないとはいえ、まとめてというのは少し辛く、途中からはあまり感情移入しないようにして話を聞いた。

 どうやら、それが女性に伝わってしまい、喧嘩になってしまった。仕事をしているとはいえ、騒ぎに気付いた管理人が私たちの言い分を聞いてくれた。その時、管理人は女性に対して冷酷に「君のせいで、何人辞めたと思っているんだ」と言った。また、何かその女性をあおるような言葉を比較的冷静に発し、その女性は逃げるようにして帰っていった。私は、管理人が彼女に対してなんと言ったか聞き取れなかったけども、相当なことが起こっているのだろうとは感じた。

 私と管理人だけが集会所に残され、二人でソファーに並んで座っていた。管理人は私の目を見て、「巻き込まれやすいんですね」といい、仕事に戻ろうとした。さすがにそのまま帰るのが嫌だったから、私は管理人に突っかかった。何か非合法な手を使っていませんだとか、私と女性の喧嘩だったのだから、仲裁に入らなくてもよかっただとか、あおるにあおった。私もイライラしていたのだと思う。そうすると管理人は壁越しに私に語りかけた。まず、女性の素性について。女性はトラブルメーカーで、他のメンバーから避けられていること、大体新入りかあまり見かけない人を見かけると、あることないことを話したりすると。ただ、ここは去る者は追わず来る者は拒まずというスタイルだから、女性を追い出すつもりはなかったと。ただ、少し言い過ぎたかもしれない、それは大人げなかったと言われた。また、管理人のことも少しだけ聞くことができた。そこには、喧嘩っ早い管理人の過去があって、今までのものをすべて捨て去ったうえで、悪い社会を変えるための運動をしているといった趣旨の話も含まれていた。

 賛否は考えないとしても、活動動機や、考え方、行動が私にとっては末恐ろしいと思わせるものがあった。何もしなかったら被害に遭うこともないし、ただの何考えているかわからない人であるが、本気で関わったうえで裏切ったり、ぶつかったら恐ろしいエネルギーをもってぶつかってくるだろうと思った。それは、先ほどの女性が霞にしかみえないほどのことである。

 

 管理人は一通り話すと、集会所の閉所時間になってしまったので、私は集会所を後にした。家に帰ってから、私は一日の出来事を振り返ったが、濃すぎると思った。そして、管理人に対しての印象もガラッと変わった。相当に恐ろしいなと。

 

 ただ、それが起こってからも表面上はなにも変わらなかった。私は集会所に入るとき、こんにちはと挨拶し、帰るときは、お疲れ様でしたという。それは変わらず、基本的に会話はそれ以外しない。私が話しかけない限りは、そのほかの会話は発生しない。 

 今日も集会所に行った。おかしなことがいろいろ起こったはずなのに、居心地は相変わらずによかった。まだ、私は不健康なんだろうと思った。健康な人に集会場みたいな場所はいらない。そんなところで休まなくても問題ないからだ。よくも悪くも、ここは吹き溜まりで、変わらない優しさがいつでも横たわっている。