春の日

時間を戻したい、そんなことをあんまり考えたことはないけれども、もし戻せてしまったら。そんな体験をしてしまった。

あの時あの場所に存在した感覚に、嫌な気持ちになることなく穏やかに戻っていった。

 

 時間の変化で人は変わっていきます。変わることに安堵を覚えますが、変わらないことにも安堵を覚えました。例えば、老舗の料亭の看板メニューの味が毎度変動したら困惑するでしょう。それと似たようなことです、世には変わらなくてもいいものもあるかもしれません。

 

お茶をご一緒しました。どうやら気を遣って、彼の昔の好物を出してもらって。好物というのは変動するものでもありますが、そういう些細なことを覚えていただけるのは少しだけ嬉しいような気もしたそうで。まあ、彼は気のせいだといっているのですが。

 

昔話に花が咲きました。単刀直入に過去についてコメントされたりもしました。関係が浅くはなかったので、それについて嫌な気持ちにはならなかったそうです。彼は昔について深くは覚えていません、しかしそれはエピソード自体を覚えていないだけです、実は感情、感覚は手に取るように思い出せたりするのですが、それを人前で披露することはないでしょう。無意識に避けているのです、これ以上大切な人に余計な迷惑をかけたくはないと。迷惑自体はかけてしまうことはどうしようもないにしても、あまり心配はされたくはないと。

 

覚えていない、というのは罪かもしれません。ずいぶん昔のことですが、一人の人間を深く傷つけてしまったことがあります。彼の身勝手が原因ではあるのですが、被害者というのは、そのことを気にも留めていなかったのです。彼は勝手に後悔し、長い時間を灰色としたそうで。双方が覚えていないと無駄になってしまうんだ、出来事なんて。などと思った時もあったそうです。

 

そんなことを言っておきながら彼も大切なことを忘れていたのです。

「――のこと好きだったんでしょうね」

一人の人間について深刻になりすぎていて、他者への無意識の愛を覚えていなかったなんて。その方とはいろいろな話をしました。当時にしか生まれなかった言葉もあるでしょう。お互いに守るものというのが明確にはなっていなかった頃です、今同じことは絶対に言えないでしょう。まだ互いに不安定さから抜け出せてはいなかったのです。

 「息をするのも面倒くさい、って言ったことがある」

その言葉は当時の彼には衝撃的でした。彼も生きたいとは思ってはいなかったけれども、他にもそんなことを思ってまだ生きている人がいるとは思ってもいなかったからです。彼が尊敬していた人はすでにいない人であり、つまり物語を自分の意志で完遂した人々だったのです。

ある人は彼の言い分にじっと耳を傾けていました。彼は大変すぎる日々から多少は救われたのでしょうか。彼のことを呼び捨てで違和感なく呼べる人などそんなにはいないでしょう。

そんな大切な人のことを彼はあまり意識していなかったなんて、彼は変わった人です。変なところでは律儀です。覚えていたらもう少しは連絡を取ったことでしょう。

いや、違うのです。実のところ彼は覚えてはいたのですが、迷惑をかけまいと、その人の前から去っていたのです。そして、それが長く続き本当に忘れてしまっていた。相手の思い、おせっかいにより、ようやく思い返せたのです。大切だった、ほんのひと時の穏やかな時間を。

 

 彼はある人の思い出話に肯定も否定もしませんでした。覚えていないふりをしても相手は何とかして真意を読み取ってくれるだろうと、甘えたからです。

 

 他愛のない温かみのある時間はあっという間に去っていきました。相手にとっては深い意味を持たなかったとしても、彼の中には雪解けのための言葉として存在し続けるのです。