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さまざまな決断において、長い言い訳もしくは弁明をしたくなったので、文字を綴ることにします。(再掲です、10分だけ何の告知もせずに電子に掲載されていました)

 

・郷里を愛す

3月末をもって、所属している学生劇団を退団しました。(厳密な退団は少し後でしたが)

正直なことをいうと、自分たちの代はもう自分達の卒公しか参加する公演はないし、所属していたとしても、活動することはないのに、なぜこのタイミング? と普通に思われるかと思います。確かにやめたところで何も変わらないし、強いて言うなら、何か活動する時に紹介する肩書きが1つ減ったくらいの話です。

むしろ、普段演劇に関わる中で、メインとして活動している部署も考えると不利益の方が多いくらいです。(備品の持ち出し、使用が多いので)

もっと言えば、所属団体の人と喧嘩したわけでもないし、テクニカルの人として用が有ればいつでも参りに行こうという気持ちもあります。むしろ所属団体のことは大好きです。

尚更意味不明な決断になると思われそうですか、愛があるからこそだと思っています。

とってもわがままな話なのですが、今、この1つ上の代の卒公を終えたタイミングが、最も所属団体を大好きでいられる時間であって、これ以上続けてしまうと、その気持ちは少しづつ薄れていき、好きという感情はあっても今みたいに熱烈な愛はないと思うのです。その気持ちを終わらせないために、所属という形を終える必要があるなと思いました。所属という形を終えるだけであり、関係性を切るつもりはないし、(恐らく来年の卒公に参加します)所属している人達のことは好きです。

愛を終わらせないために、1番美しい状態のところで話を終わらせて、記憶してればいいなんて、とっても身勝手な話だということは自覚しています。無茶苦茶な理論だということも分かっています。それでも、その決断を報告した時に、一定の理解を示してくれた後輩、またそれを風の噂で知り、それでも卒公に参加してくれてありがとうと言ってくれた先輩、それ以外にも関与した皆様には頭が上がりません。本当に暖かい団体だなと思います。所属できて良かったです。こんなわがままで身勝手な人だったけれども、演劇を続けるきっかけになって、それからいろいろなところに出ていけるようになりました。本当に感謝しかないです。



・思い出話

自分は何かに所属するというのが、本当に向いていない人間で、そんな自分が3年も所属することができたのは本当に周りの人達のおかげだと思うし、良い団体だったからこそだと思います。少し参加した公演を振り返っていくことにしましょう。



1年学祭 「妥協点P」

学生演劇として初めて関わった公演でもあり、所属団体で初めましての公演でした。高校時代からなんとなく照明の研究をしているからという理由で照明を選び、そのまま照明部の人になることとなるきっかけになった公演です。

当時、自分は作業の掛け持ちをしていて、別の団体で学祭副代表をしつつ、演劇サークルを含め、5つのサークルに所属するということをしていました。(全て学祭に参加するという団体でした)そのため、本番日も初日のみの参加、準備も中途半端な手伝いしかした記憶がありません。今振り返ると、演劇サークルと別の団体の副代表にせめて活動を絞るべきだったなと思います。(結局、どちらも中途半端な参加になりました)

二兎追うものは一頭も得ず、という言葉は本当にその通りだと思いました。

正直、サークル内で何をしていたかあんまり記憶がありません。他の同期は夏公、夏の合宿を挟んでからの学祭ですが、自分はほとんど初めまして、みたいな感じだったからです。

自分は人もわからないし、何をすればいいのかも分からない状態でした。そして、そもそも大学生になってから初めての学祭。高校の時とは規模も全然違って、他の活動をすることもかなり手一杯でした。

何もできなかった、というのは自分の中でかなりその後も記憶に残って、時間がなくとも知識があれば助太刀ができるのでは? という思想を生みました。(元々理論尊重主義ではありましたが)

いつだったかの稽古か覚えていないのですが、台本解釈をする時間があってそれがとても楽しかった思い出があります。当時は演劇というのは数ある表現手段の一つ、位の認識で演劇サークルに所属していたのですが、少し人と共有しながら何かを進めていくのは楽しいなぁと思いました。

些細なことではあるのですが、ある先輩からきちんと名乗って頂いたことを覚えていたりします。一応、4月から所属はしていたし、新歓の食事会にも参加していたので、全く知らない人っていうわけでもなかったのですが、すごく丁寧な人だなぁと思いました。こんなよく分からない得体の知れない人間でも存在を認知してもらえているんだな、と少し嬉しくなった記憶があります。(前述のように嬉しくなっていたのに、だいたいすべてを知らないことにして雑な返事をしてしまったのは、別の話です)

自分は皆様のことを一方的に多少は知っていましたが(新歓時の印象というレベルの話ですが)、知らないフリをしていました。覚えてもらえていなかったら空回りだし、所属なんてするもんじゃないという主義も持っていたので、最初の良い印象だけで評価するのも怖かったからです。しかし、何度稽古場に足を運んでも人は優しいし、親切だし、途中から参加した自分を浮かないようにと気を遣っていただけるところも見受けられて。まじで良い団体だなと思いました。この人達の助けになれるような活動ができるようになりたいなとも思いました。

できなかった、と個人的には思うところが多くあったけれども、参加してよかったです。



1年卒公 「夕」

照明の人になるんだな、と覚悟した公演だったなと思います。自分の思想したことを先輩に伝え、知りたいことを貪欲に追い求め、それについて答えていただけるという最高の時間を過ごせたなと思います。圧倒的に遠くていつか追い越したいなんて、野望を抱えつつ、なぜこの座組に参加できているんだろうとも思いつつ動いていたような記憶があります。当時は参加したことのある公演も数えるほどでしたが、後々思い返すとすごかったんだな、と何度も思う公演だなと思います。この時の打ち上げで面白い企画の話を聞けたり、次につながることも話せたりと、収穫の多い公演だったなと思います。

よくわからない思い出としては、思想をめぐるくだらない話にやたら人を巻き込んでしまったなと



2年夏公 「モンタージュ」

1番焦っていた時期の公演だったなと思います。というのも、その少し前に入っていたある現場でまじで役に立たなさすぎて気落ちしていたのと、かといって早く照明の人として確立したいという気持ちもあってしっちゃかめっちゃかしてました。それに加えて、演劇とは関係ないことで面倒なことに巻き込まれていて、それもそれでかなり気が重い話でゆとりがなかったなと思います。

早く人の役に立ちたい、その気持ちを他者に押し付けすぎたなととても反省しています。自分は理論が好きな人間なので、動く前に数多くの演算をしてから活動することが多いのですが、一般的には実践が70%くらいの学習効果を占めるそうです。理論というのは学習の10%くらいでしかないのです。自分はどうしても理詰めで考えないと動けないし、体験というのを蔑ろにしがちなのですが、世の中はそうは回っていないのです。




えっと、3公演振り返るだけでこんな文字数になってしまうなんて……。残り4公演については想像にお任せします。きっと電子の海で表現したとしても冗長な話です。いや、一言だけ書くことにしましょう。



2年学祭 「銀河のかたすみで」

忙しすぎて何も覚えていません、人間がみんな爆破してご逝去賜ったらいいと本気で思っていました。(半分くらいのジョークの気持ち)

プランはひどかったと思います。球切れに対応できなかったのは未だに悔しさがあります。

 

2年卒公 「広くてすてきな宇宙じゃないか」

副業でばたばたしてました、いい意味であんまり最後感がなくて爽やかな感じだったなぁと思っています。図形の書き方講座が面白かった思い出があります。

 

3年夏公 「パノラマビールの夜」

今までで一番まともに部署仕事が落ち着いてできたなぁと思っています。3週連続小屋入りしててあんまり記憶がありません。めちゃくちゃ遅刻しまくったのは申し訳ない気持ちしかない。作りたいプランと手が少し追いついてきたかもと思いました。ただ、もっと考えることもできたし、自分の作ったプランがオペをするのが難し過ぎて半分くらいしか成功してないのは悔しかったです。

 

3年卒公 「約三十の嘘」

Twitterで散々えもえも騒がしかったので多くを語ることはやめておきましょう。いつかの精算のようなことをしました。多くを語らない文化というのが存在すると思います。



・抽象的な思い出を語るとするならば

これはまだ仏教における境界(きょうがい)を理解していなかった頃の話。

境界というのは目に見えないことが多いし、それは人の心の持ちよう、なんて言う。そんなものは必要ないんじゃないか、いや必要だと日々考えていた。電子の海の余計ないざこざに手を出しては日常がぶっ壊れていき。暇だな〜、余裕があるなと思った数秒後にはまた関わらなくてもよい事案に手を出したり、よくわからない思想に埋もれたり。そんなことを繰り返しているときに郷里と関わるようになった。

ただの気まぐれだった。憧れもなかったし、意味も意義も感じでいなかった。体験のような気持ちだった。ある時とてつもなく親切な対応を受けて。そこからだったか、その物事の印象が変わったのは。対応してくれた人たちだって数倍忙しかっただろうし、ましてや専門家でもない。でも、そんな中にも確かな対応があって。それにとてつもなく魅力を感じた。いや、礼儀を返したいと思った。そんな理由だったと思う。真剣にやろうと思ったのは。

といっても加減のわからぬことで。悪かった、しかし今はいい人だよね、というのはクローズアップされやすいけれども、それは変な話で。元から真面目な人間も同じくらいすごいわけで。確かに、悪さから立ち直る、というのは難しいし、変わる余地があったというのはその人にも良さがあるけど、最初から真面目というのも同じくらいに尊いもので。今はマシになったなんて、他者に対してならそれは嬉しいことだしとても感謝となるけれど、自己に対しては何の価値も生まないことだと思ってしまう。過去の行動は取り戻せないし、今が良くても結局過去の行いについては、しばしば話の種になったりする。それじゃあ良かったわけじゃなくて、相手が親切で優しいだけだ。

話がそれてしまった、動機は悪くなかったかもしれないがアプローチの仕方が最悪だった。あまりにもあることに拘りすぎた。

人間など信用できるものではないし、神を信じても救われるわけではない。自己を信じても、次の日には何をしでかすか分からない。自己ほど信じられないものはない。自己がどれくらい信じられないか、なんて話は積もるほどたくさんの事例があってうんざりしている。

何かを信じるということはとてつもなく難しくて、人間のことが嫌いな人達にとってはべらぼうに難しい問だった。対応してくれた人たちが人間のことが好きだったのかなんてことは分からないけれども、スタートラインにも立ててなかったと思う。人間性の問題がありすぎた。今も治ってないだろうけど。


すみません、長い言い訳に付き合っていただきありがとうございます。もう思い残すことと言い足りないことはないです、新しい存在になっていますがこれからもよろしくお願いします。