3月、旅を終えて

長い旅を終えて。

3月、毎年得たいものを得ようとして手を伸ばす。去年、初めて想いの地に辿り着くことができて、終わりは近いと思っていたけど。

今年、初めて3月に大掛かりな企画を一つ。想定外のことが起こりすぎたし、それが素晴らしい計画だったか、といえばそうではない。ただ、とにかく走り切ることはできて。

やっと3月という呪いから解放されるような気がした、それは最悪な結末によって。

ここでいう最悪な結末、というのは言葉が伝わらなかった、愛が伝わらなかった、以上のことを指している。人間の身体の問題もあるし、神しか選択できない問題を突きつけられ、何も選択できなかった、など。それらを私は身体に刻み込んで、刻み込んで。消えないようにした。

3月に強いこだわり、想いがある話はもう何年もしてるけど、今年初めて3月をただの1つの月に思えた。△△の命日だって、友人の△△だって、色々あるはずなのに労働、労働で3月の前半を過ごして。何も考えずにただひたすら日々に向き合っていた、いやそれも真似事か。きっと私は正しくないし、真面目ではないし、衛生的ではないから。

手段を選ばずなんでもやってる人間に正しさ、衛生さを得ることなどできない。他者を媒介にして擬似的にそれを見ることができればそれは得たようなものだ、と思っていたんだけどそれも叶わなかったな。

叶わないことを叶えようとして、3月、魔法を信じて毎年何かをしていたけれど、それは不可能だ、と突きつけられ。別に魔法がなくても良いとは思っていたけど、それらに触れることすらできなくなっていたとは思ってもいなかった。何年か前ならきっと魔法に触れることくらいはできていただろうから。あの時が最も神聖で、もう今の時間に美しさの余白は残されていない。

正しいものを見守るくらいはしたかったな、汚れた手には似合わないけど。それもできない、ってようやく理解して。

 

3月という物語から見捨てられ、何もないところを歩くことになる。しかし、今までが誤っていた。一過性のことを長く保とうとしていただけだ。私は正しくありたいから、何もないところを歩くことにして。正しさと美を守るものになれることをまだ少しだけ願って。

そのことに気付くのが遅すぎただけだ、なんて。