「残光」

(誰かの手記、もしくは隠された考え)

私は世界の全てを恨んでいる。産みの親も、家族も、地域も、学校も、地球も全て嫌いだ。もう過去のことと割り切ってしまえばいいのに、割り切れないままでいる。嫌いになったのは、とうに昔で、もうエネルギーなんて切れかけている。それでも、恨みの力は続く。

私は早くこの世界を去りたい。だけども、引き止める存在がいるのだ。エネルギーなんて、ほとんど残されていなく、タイムリミットも近いのに。

先程、私は全てを恨んでいると言ったが、2人だけ例外がいたのだ。それは、私の雇用主と、ある男性だ。

私は、雇用主がいないと、存在すらそもそも証明できない。実体を持っていないし、あやふやだからだ。雇用主は、私の存在を認め、生きた人に仕立て上げてくれた。雇用主の身体を借りたりして。だから、私は、基本的に雇用主以外の人は嫌いだ。雇用主以外に、なぜ、ある男が好きだと言ったかというと、ある男は、私の存在を認めてくれたからだ。そういうのも、あってもいいんじゃないかと。別に、好きとかそういう訳ではないが、例外と言ったところであろう。純粋にそのまま受け入れられることが嬉しかっただけだ。


雇用主は、なぜ私の存在を生み出したのだろうか。生み出さなければ、別に、私は苦しむことはなかった。

私が生み出された理由は簡単だ。雇用主が、人から頼まれたことを断れない人であったからだ。雇用主は、世間への上手い接し方が理解できていなかったから、利用されてもいいや、というくらいの勢いで、お人好しであった。それでは、ストレスが溜まるであろうし、本来の友人関係というのも築きにくい。それで、私が生み出されたのだろう。時に、友達として、または、ストレスのはけ口として。

友達として、利用されるのは、別に特に問題はなかった。幼少期にありがちな、イマジナリーフレンドと大差ないであろうし。それよりは、ストレスのはけ口にされる方のほうが面倒であった。私には実体がなかったので、物理的に、つまり身体的暴力を仕掛けることは不可能であった。(実は、共有した身体で、身体的暴力に近しいことはあったのだけど)

そのため、基本的には、私は、雇用主から記憶の操作を任されていた。雇用主は、嫌な記憶を忘れるのが苦手だった。また、上手く処理する方法も知らなかった。そのため、私は、雇用主と、私の記憶の境界を曖昧にした。そうすれば、一人で背負ってる訳では無いんだよって、理解してもらえると思っていた。作り出された存在であるから、味方でいるのは当たり前のことなのかもしれないけど、精一杯の好意を示したかった。

だけれども、それは責任の押し付け合いという結果で終わってしまった。曖昧であるからこそであるのだが、どちらがこの行動を決めたのか、とよく揉めるようになってしまった。大概は、私が背負って言ったのだけど、やはり許せないこともあった。だから、時々私は、雇用主に、「○○しないと、消える」だとか言って、脅しをかけるようになった。そうしたら、そうしたらで、意外な行動を取ってきたりして、いたちごっこだった。

反逆すれば、終わったコンテンツとして、存在を消されると思っていたのだが、そんなことはなかった。雇用主は、私の処分の仕方が分からなくなっていたのだ。戦いに疲れて、そろそろ私はいなくていいだろうと思っていたのだけど、これは絡んだご縁だと思って、飽きるまでは、生涯付き添っていこうと思っていた。


そんな時だったか、雇用主が、苦手だけど、気になるみたいな人をよく紹介したり、話したりするようになった。私はその人に興味を抱いたので、その人との関係を雇用主から奪って、時々妨害してみたりしていた。雇用主が、気にいる理由もよく分かったし、私も、割といい人だなぁと思った。この人なら、私の存在を消してくれるのだろうかなんて思ったりもした。

雇用主にとって、1番大切なものは何なのだい? 別に私ではないよね。他の世界に大切なものがあるのではないのだろうか。未来に、物語を託せると確信した。そのため、私は雇用主にバレないように、少しづつ終活をし、消える準備を着々と進めていた。最後に、私を嫌いになるようにして。そうしたら、新しい関係が未練なく、楽しめるでしょう。


(後日談)

「私」の計画は、人を巻き込んで、一応、成功はした。ただし、雇用主は、「私」のことを嫌いにはならなかった。むしろ、寂しがっているところであった。なんで、気付かなかったのだろうと。


(Aという視点)

そもそも、色々無茶苦茶すぎる。自分で始めた遊びを、終わらせなくて、他者の力を借りて、終わらせるとか。そんなもの、自己責任であろう。雇用主と私という立場があるのは理解できたが、勝手にすればいいだけの話だ。なんで、こんなぐだぐだした話になっているんだ。


(Bという視点)

結局、最後の章に出てくる人って、何者だったの? 1番、イレギュラーなんじゃないのか。

「安心した空間創り」

何か新しいことを始める時、皆様はどんなことを考えているだろうか。成功したときの報酬を思い浮かべるだろうか。それとも、好きな人のことでも考えるのだろうか。人をそれぞれだと思う。

私は、気持ちが一番安定していた時を思い出す。私の中で安定とは、帰れる空間がある時だ。

何か新しいことを始めようとなった時、帰れる場所というのは大切なのではないだろうか。失敗しても戻ってこれる、奈落の底に落ちたりはしないという安心感だ。ただ、それは甘ったるい、本気で挑戦していないのかと思われる方もいるだろう。帰れる場所があったら、甘えてしまうのではないかと。けれども、私は帰れる場所って大切だと思う。ただ、ただ、甘ったるい居場所を求めている訳ではない。厳しさもあるが、言いたいことは、ちゃんと言える居場所があればいいと思うのだ。何かあって戻って来たときに、味方がまだいるんだなぁと思える空間であればいいのだ。別に、優しい言葉をかけて欲しい訳ではない。ただ、くつろげる空間があればいいのだ。


私は、長い間、様々な空間を歩き回って来たと思う。それは、今後も変わらないであろう。私は、放浪の人生を歩みたいから、誰かのところで、束縛されたり、止まったりはしない。(だから、生涯の伴侶は探さないと思う)だが、その旅の間に、どこかに停留したり、本拠地というか、いつでも戻れるスタート地点は創ったりしている。道標のようなものだ。

私は、非日常が好きだ。だから、いつでも刺激を求めているし、探索したりしている。しかし、非日常と同じくらい、日常というものも大切だと思う。変化のない、代わり映えのない毎日があるのも、いいのではないだろうか。味気ないと思っていたのだが、味気なさがあってからこそ、非日常を求められるのではないかと。戻れると分かっているから、どんなことにでも飛び出して行けるような気がするのだ。絶対大丈夫だと思えるからこそ、どんなものでも構えられるというか。それは、自分から飛び出した場合だけではない。望んではいない、突然降りかかった非日常でもある程度の対処ができると思う。ゆとりがあるというか、なんとかできる自信があるというか。


これらは、何でそう思ったか上手く説明ができないのだけど、最近こんな考えでいるのだ。

「色のある世界」

昔、私は色の世界が嫌いだった。いや、色を選択することが嫌いだったのだ。

「この人は何を言っているのだ」そう思う人も多いだろう。これは事実である。私は、色を識別できない機能的な問題があった訳ではない。それならば簡単に諦めがついてよかっただろう。色を、識別することが嫌であったし、色で区別することが嫌であったのだ。


私が色嫌いになった理由は明らかではない。しかし、物心ついた頃には、色を識別する能力はまわりの人より劣っていた。色彩豊かなものを見ても無感動であったし、色覚情報を処理することに苦手意識を抱いていたのだ。


子ども同士の会話で、好きな色は何かと聞かれることは多い。別に変な会話ではないが、私は非常に苦痛を感じていた。どれも同じようなものなのに、いちいち好きなものを選択する必要があるのかと。答えなければ、変な人だと思われるし、何かを答えていたような気がする。それがとてつもなく苦痛だった。自分自身の心を嘘で騙しているような気がした。それは、女子のコミニュケーションの中で考えると、あまりよくない状況だったのだろう。


これは推測だが、私の父方の祖父は色弱であった。当の本人は、非常に差別的な人であったので、その事実を認めたがらなかったが。自分より弱い人を、徹底的に叩く人であったので。だから、それから遺伝したのだろうと思い込んでいた。本来なら、女性の子孫に遺伝することは少ないが、私はとても父に顔つきが似ていたし、そういうこともありうるだろうと考えていた。


それでも、克服したいなとは思っていた。検査を受けたが、機能的な問題はなかったし。そのため、一時期、色を得意にしようと、色図鑑を眺めたり、本来なら色弱の人のための治療法を試したりしていた。灰色の濃さで色が識別できるという話を真剣に検証したりしていた。効果は無かった。正しく見えるはずなのに感じられない。気が狂いそうだった。


そんなことをしつつ、5年位経ったのだが、ある時、眼鏡をかけると、多少色が濃く見えるということに気付いた。ただの、思い込みでだろうが、眼鏡をかけているときは、色の識別がしやすかった。私は、すごく目が悪い訳ではなかったので、別に眼鏡をかけなくても生活はできたが、色を見たい時はかけるようにしていた。


色が、見える世界というのは少し楽しいななんて思っていたが、眼鏡というルーティンが必要なのは、不便だなぁと思っていた。そんなことを考えている時、私は、演劇というのを初めて見た。それは、衝撃的であった。表現の可能性を感じさせられた。そして、その劇は非常に面白かった。喜劇だったのだ。その時、私は、いつもより色が多く見えた気がした。また、濃く見えた。眼鏡をかけてはいなかったのに。それから、劇の魅力にはまり、ある程度の本数を見た頃には、色に対する苦手意識は、いつの間にか無くなっていた。


私が色が嫌いだった理由は未だに分からない。理由は分からないままだが、なんとか問題にけりはついた気がする。私にとって必要だったのは、刺激であったのだろう。色が苦手な自分に引け目を感じて、芸術的な活動は、避けて生きてきたような気がするから。やっても、どうせ分からないと思っていたから。だけど、それは違った。やればやるほど、よくなっていくものだったんだ。経験が不足していたんだ。見る機会が少なかっただけだったんだ。


色に限らず、私は、何かしらリミッターをかけているというか、制御している、身体的機能が多いような気がする。生きている間に、どんどん解放していきたい。

鈴木の本棚

今週のお題「わたしの本棚」

 私の本棚は、基本的にライトノベルと、コミックと、専門書で構成されている。各分野ごとにお気に入りの本を紹介していきたいと思う。

 

☆ライトノベル 

 好きなライトノベル作家として、綾里けいし氏と、甲田学人氏と、杉井光氏が挙げられる。

 綾里けいし氏は、B.A.D.シリーズや、アリストクライシ(全3巻)を書いてきた人である。B.A.D. の1話が、簡単に要約すると、空から子宮が落ちてくるーという感じが非常に気に入った。ホラー小説であるが、耐性のある人はぜひ読んでいただきたい。

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 甲田学人氏は、missingや、断章のグリムシリーズを書いてきた人である。断章のグリムは、今まで読んだ中で1番ホラーだなと思った。怖すぎて歯ぎしりしながら読んだ巻もあった。グリム童話の悪夢に巻き込まれるという感じの話だ。また、断章のグリムには番外編として、時槻風乃と黒い童話の夜というシリーズもある。こちらはホラー要素控えめで読みやすい感じになっているので、そちらもぜひ。

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 杉井光氏は、たくさんの作品を出しているが、私は特に神様のメモ帳が好きだ。神様のメモ帳はアニメ化した。ニート探偵と、ニート達と、やる気のない高校生をめぐった話である。ライトノベルには珍しく、現代社会の問題について触れているところもあり、興味深い。

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 彼をライトノベル作家として扱って良いのか分からないが、私の創作活動のきっかけになった作品を紹介する。それは、cutlass氏のNOeSISだ。最初はフリーノベルゲームとして登場し、非常に人気が出た。いつの間にか、ノベライズ、コミック化、ドラマCD化を経て、声優付きの新ノベルゲームとして再登場した。私は、中学3年の時に、NOeSISに出会い、衝撃を受けた。夢中でゲームを進め、自分も同人でゲームを作りたいなと思うようになっていった。そこで、ゲームのシナリオを書いたのだが、創作活動のスタートなのだ。結局、ゲーム作りは断念し、同人小説家として活躍したいと思うようになったが、いつかはゲームを作りたいと思っている。

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☆コミック

ローゼンメイデンがとても好きだ。なんで好きなのかはよく分からないのだけど、コミックの中では1番たくさん買い集めた気がする。

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度々読み返すコミックとして、NHKにようこそと、女医レイカがある。NHKにようこそは引きこもりの主人公が、様々なことに巻き込まれる話である。マルチ講に引っかかったり、自殺ツアーに巻き込まれたり、ちょっと変わった女の子と関わったり。とても鬱な作品だが、考えることの多い作品である。女医レイカは、クールな精神科医の話である。ネットのアプリで読み始めたが、とても面白かった。10年以上前の作品になるので、古い所もあるが、非常に興味深い作品であった。今、古本屋を回って買い集めている。

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☆専門書

 心理学系統や、精神疾患系の専門書を読むことが多いが、特に読みやすい作者を紹介したい。

 松本俊彦氏の書籍は全体的に読みやすい。彼は、アディクションや、自殺予防のことが専門である。専門書というと堅苦しいイメージがあるが、割と読みやすいのでその分野に少しでも興味があれば読むことをおすすめする。

 また、斎藤環氏の書籍も読みやすい。よくメディアに出でいる方なので、知っている人もいるかもしれない。彼は、若者文化に非常に詳しい。また最近はオープンダイアローグについての書籍も出版されている。オープンダイアローグは、フィンランド発の、統合失調症に対する、対処方である。対話によって、回復を目指すという、すごい方法である。こちらもぜひぜひ。

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承認をめぐる病 (ちくま文庫) [ 斎藤 環 ]

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☆番外(短歌)

 短歌など、あまり読んだことがなかったのだが、新聞にある女性のことが連載されており、非常に興味を持った。それは、セーラ服歌人鳥居だ。鳥居さんは、目の前で母親を自殺でなくし、児童養護施設で、虐待され、学校にもろくに通うことができなかった。拾った新聞で文字を覚え、短歌に出会ったそうだ。私が、彼女のことを説明すると、どうも上手くできる気がしないので、ぜひ彼女の歌集を読んでいただきたい。歌集のタイトルは、「キリンの子」という。私は、彼女の短歌に非常に衝撃を受けた。

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自由へ

 あなたは、「自由」を手に入れたいと思うか?
→Yes
→No
 Yesを選んだあなた。(私は選択者を覗き見する)
 確かに一部の人々は「自由」を追い求めているでしょう。実際にほ手に入れることは難しいが、一時的な偽物の「自由」は簡単に手に入るのかもしれない。
しかし、本質的な「自由」を手に入れるのは難しい。どうしたら本質的な自由を手に入れられるのだろうか。
 
寓話
 あるところにAという人物がいた。
Aは「自由」を追い求めていた。Aにとって日常という毎日はひどく退屈であった。Aは新しい1歩を踏み出したかった。表社会で生きるのではなく、アングラ文化の中で輝きたかった。そこで、Aは行動を起こした。
体に小さな刺青を入れたのだ。(専門の業者に依頼して)
 
 日本では、刺青はタブーとされていることが多い。恐らく江戸時代の刑罰のイメージが強いのであろう。
 ただ、その行動が悪いとは一概には言えまい。個人の「自由」であるし、ファッションや芸術としての側面もある。体一面に芸術作品を掲げて持ち歩くと考えるととても美しい気もする。そして、Aはあるコミュニティに受け入れられた。そのコミニュティは、ファッションとしての刺青を受け入れていた。
 そのため、()の中で表した文字が非常に重要になってくる。つまり、そのコミニュティは、痛みを求めるための身体改造を認めてはいなかった。あくまで、芸術としての肉体改造を目指していたのでした。
 しかし、Aは次第に肉体改造の世界の深みにはまっていった。いつの間にか、過激な肉体改造を試みるようになった。そして、最終的に重大な肉体的欠損を起こしてしまったのだ。それは永続的に、ある身体的機能を欠損してしまったことと同意である。Aはその結果に後悔などしていなかった。世間の目は冷ややかであった。コミュニティーからも逸脱してしまった。身体機能を自分から捨てて、不自由にすることはないだろうということだ。
(これは一例であって、特定の人物を批判している訳ではない)
 
 Aは空虚を抱え、何かを求め続けていた。何を求めているのだろうか、分からないし、迷路のようだ。
 「自由」とは、他者の承認なしでは成立しないのではなかろうか。Aは「自由」になりたいと思っていた。周囲の人に認められなければ、「自由」になれない。自分勝手することだけが、「自由」ではない。相手の「自由」も尊重した上で、自分の「自由」を求め続けなければならない。「自由」という問は非常に難しい。

rain day

「梅雨」ー北海道と小笠原諸島を除く日本、朝鮮半島南部、中国の南部から長江流域にかけての沿海部、および台湾など、東アジアの広範囲においてみられる特有の気象現象で、5月から7月にかけて毎年めぐって来る曇りや雨の多い期間のこと。雨季の一種である。
「青」ー基本色名のひとつで、晴れた日の海や瑠璃のような色の総称である。青は英語のblue、外来語のブルーに相当する。寒色のひとつ。また、光の三原色のひとつも青と呼ばれる。国際照明委員会 (CIE) は435.8nm の波長をRGB表色系において青 (B) と規定している。
 
 私は、辞書を閉じた。じめじめとした梅雨の一時、雨宿りという名の時間潰しのために図書室にいた。迎えが来るまで、後30分。どうしようか。宿題をやる気にもなれないし、かと言って本を読む気にもならない。先ほど、気まぐれで辞書を開いて見たものの、興味を引くものはなかった。寝て過ごそうかとも思ったが、まわりで勉強をしている人もいるので、そうもいかない。退屈だ。そして、蒸し暑い。
 
 とりあえず、ペンを手に取った。白い紙に、1本のペン。何を表現することだってできる。
「ペンは武器よりも強し」
 誰かがそんなことを言っていた。確かに、武器を使って殺し合いをするよりも、ペンを使って勉強したり、情報を届けたほうがよい。未来にもつながる。言葉の力は世界だって変えられる。
 
 私はいつから、ペンを使って、どうでもよいことを表現するようになったのだろうな。初めてペンを持ったときは、新しさに満ちていて、書くことがとても楽しかった。手を真っ黒ににして、文字を書いていた。いつの間にか、書くことは求められる作業となり、楽しさなどは無くなっていた。
昔のように書く楽しさを取り戻すにはどうすればいいのだろうか。
答えなんて既に分かっている。斜に構えて格好つけるのをやめて、ありのままを表現すればいいのだ。しかし、それがとても怖い。私の心は私だけのものであるのに、それを他者に公開することになるのだ。私の私のための領域に、他者を土足で上がらせることになるのだ。理解されない可能性だってある。別に、表現することに他者の理解など必要ない。だけど、否定されるのが怖い。
 表現は私を救ってはくれないだろう。それでも希望を見い出してしまう。縋りたいだけなのだろうか。人は何かに依存していかないと生きていけないと聞く。どうやら私は生きることに不器用だ。表現することが苦しいと分かっているのに、表現することから離れられない。私は表現に依存しているのだろう。私を救ってくれるわけでもないのに。
 
 携帯が不意に光った。どうやら迎えの知らせのようだ。こんなことは捨ててしまいたい。家に帰ったらきれいさっぱり分からなくなりたい。そんなの嘘。捨てることなんて、できない。私の心を縛り付けている。

南条あやさんの話

 お久しぶりです。今年も、南条あやさんの話をしたい。去年も同じ日に記事を書いた。私の中ではまだまだ風化していないことなのだ。

 
☆南条あやさんとは
Wikipediaより引用
南条 あや(なんじょう あや、HN(ハンドルネーム)1980年8月13日 - 1999年3月30日)は、日本のメンタルヘルス系ネットアイドル、フリーライター。
高校3年生の頃に町田あかね(薬事ライター)のウェブサイト「町田あかねのおクスリ研究所」(現在閉鎖)上に「精神病と向精神薬に関する体験談募集」に対してメールを送ったところ、その文才が評価されたことから1998年5月28日〜1999年3月17日まで日々を綴った日記を公開し始める。心に病を抱えた内容を吐露した日記は同好の士を中心に多くの人々から支持を集め、ファンクラブも結成されるまでに至る。
しかし、卒業式を終えて20日後の1999年3月30日正午ごろ、一人でカラオケボックスに入店し、その後3時間の間に向精神薬を大量に服用し昏睡状態で病院に搬送される。蘇生処置をするが、その後死亡。まだ18歳の若さだった。しかし、本人は薬物にたいしての知識が十分あり、服用した薬も致死量には満たなかった。そのため、本人に明確な死の意思があったかは不明。未だに推定自殺とされているが、司法解剖の結果、日常的に繰り返した自傷行為により、心臓の弁に穴が空いていたことが結果としての死因に結びついた。
 
簡単に説明すると、ネットアイドルで、ブログを書いていた人ということだ。そして今日、3月30日が命日なのだ。17年も経っているのだな。
 
☆現代的に考える
南条あやさんが、今の時代に生まれていたらどうだったのだろうと考えてみた
 
恐らく、ブログに心境を綴るなんていうことはしない。生主や、キャス主など配信する人になっているだろう。一定数のフォロワーを得ることができるだろう。配信する人になっていなければ、有名ツイッタラーにでもなっているだろうか。
どれにしても、形跡は残りにくい。何年経っても語り継がれるということは無いのだろうな。インターネット黎明期に産まれた、時代のアイドルということなのだろうな。
 
 
☆影響を受けたものたち1
最近、あるライターの話を聞く。北条かやさんだ。名前が似ているなぁと思ったら、影響を受けている趣旨の話を見つけた。そして、彼女は最近ネット上で叩かれている。炎上の理由は複雑であるし、ここでの趣旨にそれるので説明しないが、とにかく叩かれている。皮肉にも、今日この日に騒動が大きくなっている。
 
とても、複雑な気持ちになる。
 
 
☆影響を受けたものたち2
アーバンギャルドというグループの「平成死亡遊戯」という曲がある。南条あやさんのことを想像した曲になっている。
聞いて見たのだが、とても良くできた曲だ。彼らは人々を惹きつける、何かをもっているのだろうか。
 
 
☆鈴木の書きたいこと
私は、毎年この日がやってくると、不思議な気分になる。私は、南条あやさんの存在を中学生の時に知った。当時、私は自傷行為を始めたばかりであった。そんな時に、彼女の文才に触れた。既に故人であったが、とても惹きつけられた。そして、全ての日記を読んだ。驚いた。病んだ話を、コミカルに危うげに書ける人がいるんだなぁと。私も影響を受け、世でいうメンヘラ系のブログを始めた。しかし、彼女の足元にも及ばないブログであった。(現在は削除されている)人気がなかったのだ。
だから、私はブログを書くことを諦め、小説の世界に足を踏み入れたのだ。(小説の世界でも受け入れられているかどうかは不明だが)
ということがあり、私は彼女にとても影響を受けたのだなぁと思う。文書を書こうと思ったのは、彼女のブログを読んだからだ。だから、彼女の命日がやってくると、不思議な気分になるのだ。写真は個人的な弔い。
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桜の咲く季節。桜の写真を撮った。
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☆昨年の記事
 
 
 来年もこの話ができますように。

I miss you

 遠い昔に失った人の話。彼にもう一度会えないかな。

 彼は人前に出るのは向いていない人間だった。彼は、他の人より精神的持久走がなく、闇の世界に逃げ込む癖があった。また、体も丈夫な方ではなかった。
 そのため彼は戯け者を演じ、何も分からないようにして、何も感じないように、自我は胸の奥に息を潜め、それなりな生活を送っていた。
たった、それだけのことかと思われそうだが、彼にはそのことをさも重大問題のように考えていた。
 
 彼はある時、「人権」という活動に出会った。そこで、彼は自分のことを話していいということを学んだ。そして隠れていた自我が現れ、彼が放棄していた、人間らしい生活を送れるようになった。
 彼はようやく普通で人間的な生活を送れるようになった。人権に出会わなかったら、一生この楽しさは味わえなかっただろう。「人権」は彼の人間らしさの実現を助けてくれた。
 だから彼は「人権」には仕事だと思って、敬意を払ったほうが良いと思っている。また、彼にとって「人権」は償いでもある。人間らしい生活を送ることと引き換えに、彼は闇の世界での、契約、友人を放置してきた。彼の心の中にはまだ、たくさんの闇の世界の住人が住んでいる。また、契約を振りかざす住人もいる。それは彼にとって大事な時にいつも襲ってくる……。
 
 そもそも、いつから闇の世界の住人が彼の中に住んでいるのか。それは確か小学生の頃からだ。当時、彼はストレスに耐え切れなくなった。そこで人生は終了するはずだったが、それでも彼は生き延びたいと思った。そこで、猶予をもらい、代償として感情の一部を捨てた……。それから闇の世界の住人が心の中に住んでいる気がする。
それは彼の2番目の罪。1番目の罪とは生まれてくること。2番目の罪は闇との契約だ。「人権」の活動を頑張れば、その心の中に住んでいる闇の住人も救われると思っている。だから彼にとって「人権」は贖罪なのかな。彼の求めている人間らしい生活は分からないままだ。確かにここにあったはずなのに、泡のように消えたりする。怖いな。なんとなくだけど。
 彼はこの少し変わった生活を否定はしない。彼の人生はおかしな部分が多い。彼はそこで「もの書き」という生き様を手に入れた。彼は、人間の醜い生き様、崩壊していく様を、記録することができる。それは狂気である。彼が世界に残せる、唯一の世界に対する挑戦状なのだ。
 狂っていると言われても結構。彼はそんな生き方しかできない。これが本当に狂っている人間なのかもしれない。笑える。もう笑いしかない。こんな人間を必要としてくれる人なんて少ないでしょう。いたとしても、それはただの変人だよ。そんな闇を心に抱えていたら、普通の生活はできないだろうしな。