個人的なことを言葉にする(備忘録)

何回目かの文フリに参加した。新しい出会いがあったり、たくさんのことを思考したり。充実した1日だったと思う。言語をやり取りしてて、思ったことがあったので忘れないうちに書いておこうと思う。

・ハリボテ
鈴木夢眠は完璧主義なのでは? と言われた。全くそんな自覚はなかったし、そもそも私のプライベートを知っていたらそんなことを言えるはずはない。よく、待ち合わせには遅刻するし、部屋はきれいな状態とはいえない。諦めることだって数多く経験した。いや、でも気付いてないことだってある。発言者の意図を探った。そもそも挑戦する前に物事を選択している場合を考えた。それならば当てはまる。思える到達点まで持っていきたいが故に、やること自体を取捨選択することはありうる。失敗しないだろう、自信のあることを選択しているのだ。
意図的に物事を排除することによって、見せかけの完璧が出来上がるのだ。

・老人
作品の傾向について。他者目線で書くのが苦手だ。話し合いの結果、自己を正確に認識していないからとなった。確かに、自分自身が何者であって、どんな人物かという問いは意味をなさないと思っているし、どうでもいいことの一つだ。しかし、ずっと興味のないことではない。昔はすごく興味があった。考えるがわからないし、他者を巻き込んで考えなくては分からないし、迷惑がかかるからやめた。一貫性がないと客観視するのは難しいらしい。
尊敬する人は言った、「迷惑のかからない関係性は存在しない」と。確かにそうだ。喋るという行為は相手の時間を使うことになるし、関わる事自体迷惑なのだ。だけど、関わりたいと願ってる。

他人にどう思われたいか?
→よく思われたい
→どうでもいい
→その他

わからないけど、そりゃ良くは思われたいと願う。でも、そのためには分析は必要である。

・庭
箱庭に引きこもっていた。関心は向けられていた。だけど、住人は見ないフリをし続けた。箱庭の外では目まぐるしく変わっていく世界。箱庭は忘れ去られていく。

領域外伝

yumecordcore.hatenadiary.jp

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 ー人にとって書く行為というのは精神の安定のためにあるのかもしれない。

そんなことは昔から言われていて、特に目新しいことではない。心理学的にもちゃんと立証されている。ストレスとの向き合い方の話にあったはずだ。強いストレスを感じた時は、考えていることを整理するためにも書いた方がよいと。

 ただ、書けるという状態は急性期に比べたら、随分と落ち着いた状況になっている時である。大変な時に書くとか、表現するとかそういうことはできない。生きるのも険しいかもしれない。生きることが必ずしも正解ではないが。

 世の中にはどう頑張っても助からない人が存在する。海外の人でとある病気(精神的なもの)を患った人がいたのだが、その人はどうも生きるのに向いていなかっただろうという印象を与えた。結局、20だったかそれくらいの時に亡くなってしまう。書いたら生き延びることができるかもしれないが、その人は書いたにも関わらず生き延びることができなかった。その病気は直接的には死なないが、間接的な要因による致死率が案外高いとも言われてはいたが。

 死んでもよい人間が存在するとかしないとかそういう議論はいくらでも行われている。インターネットの箱庭でも繰り返し行われてきたであろう。

 とあるネットワークから外れてしまって、また戻りたいと願わないのであれば、それはイコール死であろうと考えている。そのとあるネットワークというのはセーフティネットではない。人によって変わるし、そもそも存在しない人もいる。別に資格とかそんなものは存在しないはずだけど、人がそれにこだわれば発生してしまう。それは何においても共通することであるが。こだわれば新たな基準というものは発生する。

 

 

 前置きはこれくらいにして、今回書きたいことを進めていくことにしよう。 といっても今回書きたいことはつまるところ何なのかなどと問い合わせがあったとしてもそれに答えることはできない。さっきの前書きは補足でしかない。

 

*主語が著しく省かれ代名詞が多く出現します。理解できない箇所があっても気にせず進めてください。特に意味はないです。(そしてこの注意書きにも意味がない)

 

 とある人は、狭間に住んでいる。何の狭間か? 人々の意識下ではないところというのが1番適当である。無意識の世界、無意識の海に住んでいると主張する。そんなことはとある人以外にとってどうでもよい事実なので、無視されていく。

  とある人はいつも通りに領海を見回る。ウイルスバスターのように領海を見てまわり、もし侵入者がいたら制裁を与える。そんなことを繰り返す日々であった。とある人は侵入者に対してはかなり厳しい方である。たまたま道を間違えてしまった人にも処分の手は緩まない。何がなんでも侵入者には容赦がない。基本的には侵入者は殺される。

 その場所には時間という概念が存在するといえば存在するが、それは各自の采配に任されている。そのため、1日が必ずしも24時間とは限らないし、1週間が7日とも限らない。統一はしていない。一応、一般的に知られている、1日は24時間で、1週間は7日というのが知らされてはいるが、それを守るものはほとんどいない。

  とある人はいつも通り、領海を見回る。そこに朝も昼も夜も存在しない。無限に時が流れるだけだ。同じことを延々と繰り返している。

 その場所に他者は存在する。しかし、それは望めばということである。望まなければ他者は存在しないし、望めば他者は自然に現れる。そんな自由に扱えるような空間であった。その場所における他者というのは、蝋人形のようなものであった。意思を持たせることは不可能とはいえないものの、不可能に近い行為であった。意思を持った他者はすぐに壊れてしまう。無機の蝋人形は、いつまでも存在し、長持ちした。

 とある人はいつも通り、領海を見回る。たまに湧いてくる侵入者を殺し、その死体を食べて生き延びていた。その死体は生物の死体(肉)ではなく概念であった。概念を食べることは不可能のはずであるのに、なぜかその場所では可能になっていた。

 その場所に存在しないものはなかった。どこにでも繋がることができ、何でも取り出すことができた。限界というのは塗り替えられるもので、決めつけてしまえば生まれ、考えなければ生まれない。何でも存在することができた。

 

 平凡な語り口に飽きてきたところで。誰かは何か挑んでいる。何に挑んでいるのか? 見えざる限界にだ。全てのことは望まれているのではないかという。不幸な自己であってもそれは本人が望んで不幸の状態になり続けているのではないかと言う。不幸な状態というのが中毒になっていて、不幸というのは中毒症状の一種だとも言う。それについての言説はしない。どこかに壁打ちされた言語でしかないからだ。

 

 

 今日はいい夜ですね。

 

近況報告その1

はーい。お久しぶりです。この時期になると、本当は去年みたいに小論文でもやりたかったのですが、今年は忙しすぎました。とりあえず、近況報告みたいな記事を書いて行きたいなぁと思います。ただの日記です。

 

☆演劇

約半年振りに演劇の世界に戻れました。がっつり関与したのかといえばそれは嘘で、多少関わったよという話に過ぎないのですが。日々が色付いていく感覚って中々抜けないです。だから、またやりたくなる。そんなような気がします。特に舞台のなんともいえない匂いが好きで、灯台のそばによって香りを嗅いだりしてました。あの匂いを嗅ぐと、なぜか色があふれて、多くの事情を考えたくなります。

 

☆短歌

機関紙デビューしました。短歌のことを本気で愛しているかと聞かれたら、それはわからないし、でも表現の一つの手法としては興味があるとは言えるというところです。紙媒体に自分の作品が載るということってなんかいまだに慣れてなくて、毎回どきどきしてしまいます。機関紙の最後に歌会のまとめがあるんですけど、思い返すとひぇーって声が出てしまう箇所もありました。まだまだ訓練が必要なようです。

 

☆サークルとしての機関紙

個人サークルの話です。11月の東京文フリに参加するので、新作機関紙が出ると思います。これは継続可能な行為なんだろうか。継続したいとは思っているのだけど、多分難しいでしょう。次回がどうとかそういうのはいえないけども、今回は作ります。

 

☆その他

領域を題材にした物語を書いていた頃の感覚がもうわからなくなってきてる。1年も経ってはいないのに。今年、あの人の命日を迎えた時、あの人が生きていた時間よりも長い人生を歩むんだろうなと思った。それは、何かとの別れだったのかもしれない。私の中で枷が外されたのだろう。だから、というのは辻褄があっていないのだけど、領域世界が読めなくなってきている。もう少し、自由に行き来できるところだと思っていたのだけど。何をやっていたのか思い出せない。

感覚を取り戻す方法はわかっているらしい。しかし、私はそれをするかどうかは分からない。また深く沈むのは嫌、いや今度はいいのかも。手はある。さてどうするか。