鈴木の本棚part2

お知らせメールの影響もあり、1年前のブログを読み返した。私の本棚について説明されている文書だった。

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1年経ち、私の本棚の様子はかなり変わったような気がする。まず、中古で購入したり本が減り、新品購入した本が増えた。また、SFに手を出すようになった。本棚には、古典や、有名作家の作品が並んでいる。まだ読めていない本もあるがぼちぼちと読んでいきたいと思っている。

 

短歌に興味を持ったという話が記載されていた。影響を受けたのはその頃だったのだろうか。今ではよく覚えていない。はてなブログを漁ってみた。なぜかもっと昔に短歌とも呼べないが、短歌の形をとっている作品を発見した。

 

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長く興味を持っていたことは、理解できたが、それを実際の行動に移せたのはつい最近のことである。いつの間にか、私は受け手だけではなく作り手にもなっていた。歌会に参加するようになっていた。1年、そんなに長い期間ではないと思うのだけど、意外にも変化していた。

 

ついでみたいになってしまうが、今の状況でも書いてみようかなと思ってしまう。何の気なしに、書いた記事が1年経って、自分が過去に考えていたことが知れるとしたらそれはとても面白いことだと思う。

 

実をいうと、私は一時期物語を軽視していた。医学論文が世の中で一番良い読み物だと思っていたことがあった。(これがのちにSFにはまっていく要因です)物語なんて読まなくても高度なことが全て記されていると思い込んでいた。

その時期に書いた原稿は、全て意図的に物語にしないようにしていた。しかし、満足いくものは作れなかった。当たり前である。物語を軽視するひとが作品を作れるわけがない。なぜ、そんな思い込みをしていたか。明確な外部的な基準がほしかっただけなのだ。ただ、それだけのために読み漁っていた。

 

よくわからない感じになってきたのでここら辺で。

「言葉を吐き出す」

弟の通っている塾では講師に対して、「死ね」という生徒がいるらしい。発言者は、4年前の私の世代と比較して「生徒の質が変わったのか?」なんて言っている。

 これは質の問題だけではないと思う。いつの時代にも、なぜか人に「死ね」と面と向かって言える人間は存在する。それが、どこで発言し、発散されるのか、という問題だと思う。

 このケースの場合、生徒は塾講師に向かい、「死ね」と発言した。ある意味では、かなり発言者は考えられているのではないだろうか。一般的な塾というのは、金を払うことによって勉強を教えてもらう場所だ。嫌なら辞めればいいだけのところだ。しかし、捻くれた考え方をすれば、金を払っているということは、生徒はお客である。客であれば何をしてもいいとは言えないが、多少わがままとか、嫌味を言っても言い返してこないだろうという可能性は高い。だって、講師からしてみたら顧客が1人減るということは、大変困ることである。塾なんていくらでもあるが、顧客となりうる対象は減り続けているのだから。

 まあ、それは相当売上の悪い塾か、人としてのプライドを捨てて、金儲けの為に頑張っている企業の可能性が高い。高級塾と言われるようなところは、そもそも入塾する為に、テストを実施するところもあるし、入塾するのに許可がいるような場所もあるという。そのような塾で、このケースのような発言をした場合、まあ発言者の生徒は、塾を辞めさせられるであろう。

発言者は、鬱憤ばらしの為に塾講師に「死ね」と言ったのだろうか? そのように仮定するのなら、「水は低い方に流れる」というのがよく当てはまることだなと思う。発言者にとって、塾講師というのは、日常的には付き合いのない人間である。そして、嫌になったら適当なことを言って辞めればいい。そのようなところにしかストレスを発散できないのは、少し悲しいとかそんなことを考えてしまうけど、発言者にとっては、その場所しかないのだろうか。

 ストレスを発散するのって、現代人においては、大変なことなのかもしれない。(過去の方が楽だったとか、そんなことを言いたい訳ではないのだけど、うまく言い表す言葉が見つからない)

分からないことは多いのだけど、場所の選択肢が減ってきているのかな、と思ったり。それはリアルな空間においてなのだけど。インターネットの海は莫大で、どこまでも果てのないような気がするのだけど、リアルな空間ってすごく狭いような気がする。世界は広いとか、いう人いるけど、それは冒険者が言うことだ。冒険者ではない人は、小さな箱庭にこもっていなければいけないような気がするのだ。(いや、これは思い込み)

一人の人間が所属できるコミュニティって、そんなに多くはない。限られた空間の中で何ができるか? という問いが発生するのだけど、それはよくわからない。

領域b

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領域aの件から、随分と時は流れた。彼女は現世に存在はしていた。それが嬉しいことなのか、悲しいことなのかは分からない。誰も評価することはできないのだ。それは、誰も興味を示さない事案であるということを暗に示してる。

便宜上、この空間には、領域bとつけた。それは、以前の記事にnext→領域bとかかれていたからであり、実際に彼女が領域を移動できたのかは分からない。観測のしようがないというのが、分からない理由の1つである。また、同一性を保っていないので、移動は必然的なのか、人為的なのかという見極めが難しいのも、理由の1つである。

序論はこれくらいにして、しばらくの間に彼女は何が変わったのか?
とある方の話によると、改悪されているらしい。しかし、それを止めることはできない。一難去って、また一難ということか。明るいニュースを届けたいところではあるのだけど、現実はそうも簡単にはいかない。それが、色濃く出た1件ということなのだろう。

彼女は今後どうなっていくのか? これは中間レポートみたいなものらしい。といっても、書き手の私がそれを理解することはできない。私はただの、物語の紡ぎ手でしかなく、詳しいことは何も知らない。ただ、代理的に文字を紡いでいくことしかできない。

彼女は泣いていた。理由もなく、ただひたすらに泣いていた。泣き止むことはいつのことになるやら、といった感じであった。誰かが、なんで泣いてるの? と聞いたところ、悲しいから泣いているのと答えた。じゃあなんで悲しいのかい、と聞いたところ、それは分からないと。
理由もなく悲しいことがあるということを、質問者は理解できなかった。彼女と質問者は、永久に交わることはないだろう。

こんな空間に意味などあるのですか? どこにも届かない声を、彼女は投げる。言葉は鳥になって、飛んでいくのですよ、なんて誰かに吹き込まれたせいで、意味もない問いかけを投げ続ける。


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