結局、それは何者だったんですか?

人の記憶は「領域」という言葉に置き換えられるのではないかと思っている。


何年もぐだぐだと「領域」と称した話を書き綴っているけれども、それは人の記憶に固執しているだけのことである。


ある記憶を個人の課題にするのではなく、他の人にも話したいと思ったのが「領域」という考えの始まりである。ただの嫌な記憶でしかないのだけど、物語として昇華すれば面白くなるんじゃないかなと考えていた。条件付きではあったけど。


その条件は、それらを書ききったら、早急に書き手は自害することであった。といっても、今は前述の設定は消えている。なぜなら、1番書きたかった「領域」の話は書き手の記憶から消えてしまって、書くこと、表現することができないからだ。だから、「領域」の話を書ききることはできない。そのため、書き手は自害する必要が無くなった。


書きたかった話に順位をつけるとしたら、2番目に書きたかった話と、3番目に書きたかった話はとうに電子の海やら、どこかの特定個人に対して発表することができた。3番目に話したかったことというのはざっくり言ってしまえば、青年期の人間の話だ。どういう風に人間が思考しただとか、どんな悩みがあっただとか、ちょっと病的な行動だとか。2番目に書きたかった話は、なんだかよく覚えてはいないのだけど、書き手のなかではいつのまにか終わったことになっていた。


2番目に書きたかったことが、あやふやであるのならば、1番目に書きたかったこともあやふやになって、いつのまにかどこかへ発信している可能性があるかもしれない。そう考えるのは妥当であろう。その場合、設定に従うのであれば、書き手は早急に自害しなければならない。だか、その必要はない。1番書きたかった話は、物語の担い手とともに朽ちていった姿をしっかりと確認している。だから、その必要はなさそうである。


「領域」に絡む話を書き続けていけば、そのうち1番書きたかった話に突き当たって、その上で他に書きたいことが無くなれば、書き手は自害する可能性が出てくるのだろうか。それは今の段階では分からない。尽きるのが先で、後1つを探し続けるのか、それともその話を見つけるのが先か。それは書かないとわからない話である。


たまに生きるために文書を書くなんていう人がいるのだけど、そんなのクソ喰らえだと思っている。書き手は領域の話を書ききったら自害する設定になっているし、それとは真逆である。死ぬために文書を書いているといっても過言ではない。しかし、逆にも言える。クソ喰らえだと言いながら、書き手は生きるために文書を書いてもいるのである。それは、アディクションのある概念に近い。アディクション自体は死に近づいてしまうのだが、一時しのぎの延命には繋がるという。行為をする奴はすぐには死なないが、絶対に死なないとも言えない、なんてある界隈では使い古した言葉であって。そんな感じに近いのであろう。

書き手は何に生かされているのだろうか?

 

「領域」はゴミ、もしくは偏見の積み重ねということもできるであろう。記憶が積まれていけば、固定観念と言うのも生まれるであろうし、それによって誤解も生まれるだろう。書き手はゴミを重ねているとも考えられるのだ。それならば、なぜ書き手は書き続けるのだろうか。それは、ただのエゴでしかないであろう。


ゴミは積み重なると悪臭を放つ.


(終)


あとがき

これは、サブブログに書いたものを編集し直して、「領域」の説明に転用したものです。サブブログは現在は消滅してしまいましたが。実はこの記事の原型は2016年末には完成していて、やっと正しい形にできたというのが正直なところです。

初期にはこの後に、詩が続いていて今回の編集で消すか悩んだのですが、このあとがきの後ろに乗せることにします。この部分は全く触っていないので、文体がおかしいところがあります。本当は直したかったのですが、手の施しようがなかったです。もう、書いた時の気持ちに戻れないということでしょうか。一応、詩は本編の補足的な扱いになってます。

今年は、自分の作品を説明できるようになりたいと思っていて、そのために過去に書いた文書を引っ張ってきました。

 

アイソトープ
みんな、どうやって様々な領域や事情から立ち直ってるんだろうか。どうやって、生きてるのだろうか。分子レベルでは共有している部分があって、構成されていて。理解できることはあり得るのだろうか。

・fragment
自分を傷つける為に、人を利用することってあるのかないのか。

そういうのって、あり得るよね。自分で自分に手をくだすのは、怖いから人の手を使って。人の手を穢すことになるけど。そういう繰り返しな気がする。元々、傷ついてる人間を探して、舐め合いどころか、深め合うだけ。悪い方向に。傷の舐め合いは生温くていいですね、そんなんじゃない。傷つきたがってる人間を探してる。やりきれないことってあるじゃないか。生きていたら。償いがしたそうな人間を探す。そういう人間との関係性は気楽なんだわ。勝手に知りたくないことも、何でもかんでも言ってくれて、誰も救われないから。依存とは違う。これに関しては、断言したい。また、マゾ気質なんですか? という話でもない。だって、そんなのいつに始まったことやら。物心ついた頃にはそんな人間関係を好んでいたから。あぁ、こんなことを言ってるとそれなら愛のための物理的暴力も耐えられるのですねなんて思われそうだけど、それとこれとも違う。私が望んでいるのは言葉の暴力だから。
いや、暴力なんていう次元じゃない。なんだろうか、思いやりもあるんだよ。相手なりの。
そういうのが、DVなんですよって言われたら終わりなんだけど。

・neglect(self)
micro harm fragment 
Intermittently self blood

何かを言い表すだけの、必要最低限のパーツ。汚染された場所。
出会いたくはなかったが、必然的であった。回避ルートは、存在しなかった。
人のせいにしても、無駄。そんなことはできない。あり得ない。
壊された組織は元に戻らない。そもそも、やめる気なんてあるのだろうか。回数こそ減ったところで、自己同一性が失われそうで。ただの固執。別にほかのことでもいいんだろうね。記憶は薄れて、体の組織も入れ替わって、触れた組織なんてもうないんだろう。だけど、忘れたくないから、忘れるわけにはいかないから、そんなわがまま。相手は忘れられる権利を行使したがってるんだろうね。
代償行為、でもあるんだよ。そんなことは口が裂けない限りは言わないけどさ。(口語でね)
まぁ、へらへらしとけばいいのさ。真相なんて、いいはしない。生まれながらの、ピエロ気質だから。昔の人間はそういうのは悲しいななんて、ぶつけてきたけど。そんなことももう、昔のことだわ。忘れてしまったわ。

・ no title
漂白された、死骸、抜け殻。脱ぎ捨てられた何か。忘れちまった。何もかも始めからになっちまった。
ここは不衛生な場所ですね。

どこにあるの?

没後19年

 

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昨年は記事を書くことができなかったので今年はちゃんと書こうと思う。昨年はtweetで少し触れただけであったので。以下、去年のtweetである。

 

 

tweetでわかってしまった方もいるだろうが、本日は元祖ネットアイドル南条あや氏の命日である。どんな人物か、というのはネットで名前を検索したらすぐにわかることであるし、過去記事にも書いたので詳しくは触れない。以下2つは自分が過去に書いた記事である。

 

yumecordcore.hatenadiary.jp

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毎年、3/30は町の風景を撮ると決めている。(といっても去年はできていない。体調が悪すぎたからだ)年度末であるのも理由の一つではあるが、やはり南条あや氏の影響が大きい。なぜか彼女のことを考えると今一瞬の風景を切り取って、残しておきたいと思うのだ。所属先で一眼レフカメラを借り、私は町に出かけた。今日だけはじっとしていると何か精神に悪影響な気がするのだ。

 

以下、ただの雑記であるがしばしお付き合いいただきたい。(南条あや氏と誰かの話になっている)

 

南条あや氏って、Coccoさんが好きだったなと思い、少しだけカラオケに行った。死の直前に何を歌ってたのかなあとか思いを馳せつつ。南条あや氏のブログがきっかけでCoccoさんの存在を知った。当時、インターネットで検索をかけると「カウントダウン」という曲が上位にあった。初めて曲を聴いた時の驚きは今でも忘れられない。なんて表現をするんだろうか!! という驚きである。この驚きはもう一生ないんじゃないかなという位の話である。それくらい当時の私は驚いた。

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そのあと、なんとなくローソンで食料をポイントで引き換え、昨日買ったお菓子を並べて写真を撮った。甘い飲み物、低カロリー食品……。そうするとヨーグルトかチーズかなとか思いつつ。ちなみに無駄にカップ麺の写真を一眼で撮影した。

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食後、やらなければならない雑務をこなしつつ桜の写真を撮った。いつの間にか周囲は春模様になっていて、時間の進みが早すぎるなんて考えた。懸命に生きたからそう言えるのか、それとも時代から取り残されたからなのか。答えの推測はできているが、このブログには書かない。写真撮影はそれなりに人通りのあるところで行ったので、素早く済ませた。葉桜が桜の形態の中で一番好きだ。

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晩は一人芝居を見に行った。いつ伺ってもよかったのだが、なんとなく人がいる場所に行きたいなと思っていたため今日にした。ネタバレ等の都合で細かいことは書けないが、ずっしりとくる内容であった。

 

そんな1日だった。

 

 

 

歳を通り越してしまって、過去の人になっていって、だけど人々の気持ちの中には生き続けて。何を書きたいのか毎年分からなくなっていって、この記事を上げるのは5万字の小説を書くより困難で、それで去年は断念して。

何を捨て去ったらうまく物語がまわるかなんて、とある人の占いコーナーでとうに分かった話なのに。

 

収拾のつかない物語.

 

ご冥福、とか安らかになんて言葉は難しくて。そういう言葉より、意味の解釈を始めてしまう。

 

どれだけしたら忘れ去ることができるんだろうね?

 

 

 

 

国際女性デーと家人の誕生日

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2018 年国際女性デーをお祝いしましょう。今日の #GoogleDoodle で世界中の女性たちのストーリーをご覧ください。

 

お久しぶりです、鈴木夢眠です。 本日は国際婦人デーだそうです。ジェンダー学見習いの身としては触れておきたいテーマだなと思い記事を書いてます。

 

そもそも、国際女性デーとは何なんでしょうか? 検索すると以下のように解説されていました。

 

国際女性デー(国際女性の日)*1

毎年3月8日は、女性の権利と世界平和をめざす「国際女性デー」として、世界各国で記念行事や催しが開催されている。20世紀初頭のアメリカにおける女性の社会主義運動に端を発し、女性の選挙権獲得を求めて「女性デー」として集会を行った1909年2月の最終日曜日(28日)が起源とされている。1910年に開催された第2回国際社会主義女性会議(コペンハーゲン)において、クララ・ツェトキン(ドイツの社会主義者・女性運動指導者)らが、女性問題にかかわるあらゆる要求を国際連帯の下に取り組んでいこうと「国際女性デー」を提唱、多数の賛同を得て採択された。このことを契機に、以降女性デーは世界的に広がっていった。国連では、国際婦人年(1975年)に初めて「国際女性デー」が実施され、1977年には国連総会で「国際女性デー」(3月8日)が決議された。日本初の女性デーは、1923年3月8日に「種蒔き社」主催で行われたが、集会は反対派の妨害で混乱し40分後に警察によって解散させられたという。その後戦争などで一時中断した時代を経て、戦後は政党や労働組合婦人部が中心となって全国各地で集会を行うようになった。現在では、一般の女性団体・グループなども、この日を記念にした事業に取り組んでいる。(2004.3)

 

女性の権利と世界平和を目指す、と大きなことが書かれていますが、一般的な人は何をしたらいいのかよく分からないところです。普段より、様々なサイトや企業さんが情報発信をしていることが多いので、興味深くはあるのですが。

 

個人的な話にもっていくと、毎年のように私の誕生日は「国際婦人デー」なんだと宣伝してくる人のことを思い出します。それは、私の母のことなんですが。なぜか、私が割と小さい頃から、毎年「私の誕生日は国際婦人デーだ」と主張します。母は、ジェンダー問題に詳しい人でもないのでなんで知ってるだと今は思いますが、小さい頃は毎年聞き流していました。その発言に意図があったかどうかは分かりませんが、今よりジェンダーやら、女性の権利だとか言われていなかった時代から主張していたということは少し先進的な人だったのかなと解釈することもできます。まあ、たまたま話題になりそうな記念日が国際女性デーだっただけかもしれませんが。

 

最近の女性問題やら、ジェンダー課題を思考して、こねくりまわして、考える日々が続いてます。流石に公式として電子の海に意見を流すだけの覚悟は決まってないのですが、オフラインの場では意見交流を試みたりしてます。討論をしても問題ない立場にようやくなれたところです。閉鎖的な空間では、出る杭は打たれるだけだったので。今が一番楽しい時だと言い切ることができる。

いつか電子の海に情報を発信できる立場になってみたいものです。今回はエッセイということにして誤魔化したけども。

 

 

「3周年」

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1月11日、はてなブログさんから3周年お祝いメールが届いた。このブログを始めて3年経ったということらしい。そんな自覚は全くなくて、月日が流れるのは早いなぁと思った。

 今から3年前、このサークルの屋号「夢Code Core」が決まり、ブログを作り投稿した。当初に考えていたこととは関係のないことをやってみたり、寄り道しながらサークルの物語は進んでいる。予定を立てても思い通りにできるだけの技量はないし、作った時に立てた目標を達成しているわけではない。そもそも、設立の時に売りとして書いていた小説は未だに完結していないし、書き切れる自信もない。その作品の色紙をいただいたりしていて、その物語を気にかけてくれている人は確かに存在する。作者の義務としては完成まで話を持って行かなくてはならない。

 2年前だったか、年始に今年度の目標と題した記事を投稿したが、そんなものは達成されなかった。そのため、今年はそのような目標を掲げることはしない。

 

 そもそも年明け1本目の記事がこれになるとは考えてもいなかった。近況報告も兼ねて、最近書いたエッセイを掲載することにしよう。

 

・2018.1.9  「投げつけられた鎖(鎖は投げつけられる)」

 ある人には口癖がある。話相手が言葉を発し、それを一通り聞き終えると、文末にある一言を付随させる。それは必ずといってもいいくらいの確率であった。その口癖は不思議な言葉でもあった。まず、どのような文脈においても違和感がない。そして、相手を不快にさせることはない。便利な言葉であった。しかし、その言葉には重大な欠点があった。それは、特定の界隈に所属してないと真意が伝わらないということだ。界隈に所属していない人間にとって、その言葉は挨拶のようなもので、特定の意味を持ち得ない。特定の界隈に所属している人が聞くと意味を持ち、強い言葉として動き始めるのだ。

 nはその言葉を理解していると考えていた。nは特定の界隈にどっぷりと浸かっていると思っていたし、何よりある人の理解者であるとも思っていた。nは少しだけ優越感に浸っていた。

 しかし、それは誤認でnはとある人の言葉を理解していなかった。というよりも、理解者として認識されていなかった。とある人にとって、nが文意を読むことは想定外だったのだ。

 だからといって、とある人はnを除外することはしない。生かさず殺さず様子を見ることにしたのであった。

 とある人の言葉の強さは日に日に増していき、nは苦しむようになった。しかし、nはその領域から立ち去ることはしなかった。とある人の言葉は私しか理解していないんだ、だから、私が逃げてしまったらとある人の世界は崩壊してしまうと思い込んでいたからだ。

 そんなのはただの思い込み。だけどとある人の言葉はnを絡みとって話さない。鎖とでも言うべきか? 鎖だとしたら名付けなくてはならない。名付けないと、ただ苦しいだけの鎖になってしまう。

 名付けると言っても、どう名付けるのか? なんだか面倒くさい。だけども名付けないと死んでしまう。死なないためにも名付けなくてはならない。



新年始まって、1番最初に思い浮かんだ短編です。領域外伝と言ってもいいけれども、領域の話とも言いきれないなぁってところです。今年もごちゃごちゃ領域の話を書くんだろうなぁと思いつつ、いい加減ちゃんとストーリーのある物語を書きたいとも思いつつ。ストーリー性のある物語の書き方がよくわからなくなってきてもいます。


挨拶が遅れましたが今年も本サークルをよろしくお願いします。


2018.1.13 鈴木夢眠

よくありがちな齟齬について

別に一つのことを記述しているわけではない。最近の話でもない。どこかで起こりうる話であった。いつのことと聞かれても明確さはない。いつのことでもない。どこでも起こりうるがゆえに。

人間はコミュニケーションを取っていた。伝達したいと考えていることには齟齬があった。感情をやり取りしたいのか、それとも思考をやり取りしたいのか。人間はわざわざ確認を取らずに会話を進めていた。

人間の気持ちを一番軽くする方法は何なのだろうか。思考のやり取りによって自己理解を深めるのがよいだろうか? それとも共感による救いか。

そんなことは誰かが答えを出すことではない。考えるしかない。どちらが求められているかと。

人間は誤認する。

 

甘えというものがあまり好きではない。別に存在を否定しているわけではないが。その前に思考することはできなかったのかと。といっても、わからないから甘えるだけであり、それを否定することはできない。否定することはできないというループにはまる。

 

電子の海にわざわざ言葉を流す意味はあるのか。結局、甘えでしかないではないか。ばかばかしい。

個人的なことを言葉にする(備忘録)

何回目かの文フリに参加した。新しい出会いがあったり、たくさんのことを思考したり。充実した1日だったと思う。言語をやり取りしてて、思ったことがあったので忘れないうちに書いておこうと思う。

・ハリボテ
鈴木夢眠は完璧主義なのでは? と言われた。全くそんな自覚はなかったし、そもそも私のプライベートを知っていたらそんなことを言えるはずはない。よく、待ち合わせには遅刻するし、部屋はきれいな状態とはいえない。諦めることだって数多く経験した。いや、でも気付いてないことだってある。発言者の意図を探った。そもそも挑戦する前に物事を選択している場合を考えた。それならば当てはまる。思える到達点まで持っていきたいが故に、やること自体を取捨選択することはありうる。失敗しないだろう、自信のあることを選択しているのだ。
意図的に物事を排除することによって、見せかけの完璧が出来上がるのだ。

・老人
作品の傾向について。他者目線で書くのが苦手だ。話し合いの結果、自己を正確に認識していないからとなった。確かに、自分自身が何者であって、どんな人物かという問いは意味をなさないと思っているし、どうでもいいことの一つだ。しかし、ずっと興味のないことではない。昔はすごく興味があった。考えるがわからないし、他者を巻き込んで考えなくては分からないし、迷惑がかかるからやめた。一貫性がないと客観視するのは難しいらしい。
尊敬する人は言った、「迷惑のかからない関係性は存在しない」と。確かにそうだ。喋るという行為は相手の時間を使うことになるし、関わる事自体迷惑なのだ。だけど、関わりたいと願ってる。

他人にどう思われたいか?
→よく思われたい
→どうでもいい
→その他

わからないけど、そりゃ良くは思われたいと願う。でも、そのためには分析は必要である。

・庭
箱庭に引きこもっていた。関心は向けられていた。だけど、住人は見ないフリをし続けた。箱庭の外では目まぐるしく変わっていく世界。箱庭は忘れ去られていく。

領域外伝

yumecordcore.hatenadiary.jp

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 ー人にとって書く行為というのは精神の安定のためにあるのかもしれない。

そんなことは昔から言われていて、特に目新しいことではない。心理学的にもちゃんと立証されている。ストレスとの向き合い方の話にあったはずだ。強いストレスを感じた時は、考えていることを整理するためにも書いた方がよいと。

 ただ、書けるという状態は急性期に比べたら、随分と落ち着いた状況になっている時である。大変な時に書くとか、表現するとかそういうことはできない。生きるのも険しいかもしれない。生きることが必ずしも正解ではないが。

 世の中にはどう頑張っても助からない人が存在する。海外の人でとある病気(精神的なもの)を患った人がいたのだが、その人はどうも生きるのに向いていなかっただろうという印象を与えた。結局、20だったかそれくらいの時に亡くなってしまう。書いたら生き延びることができるかもしれないが、その人は書いたにも関わらず生き延びることができなかった。その病気は直接的には死なないが、間接的な要因による致死率が案外高いとも言われてはいたが。

 死んでもよい人間が存在するとかしないとかそういう議論はいくらでも行われている。インターネットの箱庭でも繰り返し行われてきたであろう。

 とあるネットワークから外れてしまって、また戻りたいと願わないのであれば、それはイコール死であろうと考えている。そのとあるネットワークというのはセーフティネットではない。人によって変わるし、そもそも存在しない人もいる。別に資格とかそんなものは存在しないはずだけど、人がそれにこだわれば発生してしまう。それは何においても共通することであるが。こだわれば新たな基準というものは発生する。

 

 

 前置きはこれくらいにして、今回書きたいことを進めていくことにしよう。 といっても今回書きたいことはつまるところ何なのかなどと問い合わせがあったとしてもそれに答えることはできない。さっきの前書きは補足でしかない。

 

*主語が著しく省かれ代名詞が多く出現します。理解できない箇所があっても気にせず進めてください。特に意味はないです。(そしてこの注意書きにも意味がない)

 

 とある人は、狭間に住んでいる。何の狭間か? 人々の意識下ではないところというのが1番適当である。無意識の世界、無意識の海に住んでいると主張する。そんなことはとある人以外にとってどうでもよい事実なので、無視されていく。

  とある人はいつも通りに領海を見回る。ウイルスバスターのように領海を見てまわり、もし侵入者がいたら制裁を与える。そんなことを繰り返す日々であった。とある人は侵入者に対してはかなり厳しい方である。たまたま道を間違えてしまった人にも処分の手は緩まない。何がなんでも侵入者には容赦がない。基本的には侵入者は殺される。

 その場所には時間という概念が存在するといえば存在するが、それは各自の采配に任されている。そのため、1日が必ずしも24時間とは限らないし、1週間が7日とも限らない。統一はしていない。一応、一般的に知られている、1日は24時間で、1週間は7日というのが知らされてはいるが、それを守るものはほとんどいない。

  とある人はいつも通り、領海を見回る。そこに朝も昼も夜も存在しない。無限に時が流れるだけだ。同じことを延々と繰り返している。

 その場所に他者は存在する。しかし、それは望めばということである。望まなければ他者は存在しないし、望めば他者は自然に現れる。そんな自由に扱えるような空間であった。その場所における他者というのは、蝋人形のようなものであった。意思を持たせることは不可能とはいえないものの、不可能に近い行為であった。意思を持った他者はすぐに壊れてしまう。無機の蝋人形は、いつまでも存在し、長持ちした。

 とある人はいつも通り、領海を見回る。たまに湧いてくる侵入者を殺し、その死体を食べて生き延びていた。その死体は生物の死体(肉)ではなく概念であった。概念を食べることは不可能のはずであるのに、なぜかその場所では可能になっていた。

 その場所に存在しないものはなかった。どこにでも繋がることができ、何でも取り出すことができた。限界というのは塗り替えられるもので、決めつけてしまえば生まれ、考えなければ生まれない。何でも存在することができた。

 

 平凡な語り口に飽きてきたところで。誰かは何か挑んでいる。何に挑んでいるのか? 見えざる限界にだ。全てのことは望まれているのではないかという。不幸な自己であってもそれは本人が望んで不幸の状態になり続けているのではないかと言う。不幸な状態というのが中毒になっていて、不幸というのは中毒症状の一種だとも言う。それについての言説はしない。どこかに壁打ちされた言語でしかないからだ。

 

 

 今日はいい夜ですね。

 

鈴木の本棚part2

お知らせメールの影響もあり、1年前のブログを読み返した。私の本棚について説明されている文書だった。

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1年経ち、私の本棚の様子はかなり変わったような気がする。まず、中古で購入したり本が減り、新品購入した本が増えた。また、SFに手を出すようになった。本棚には、古典や、有名作家の作品が並んでいる。まだ読めていない本もあるがぼちぼちと読んでいきたいと思っている。

 

短歌に興味を持ったという話が記載されていた。影響を受けたのはその頃だったのだろうか。今ではよく覚えていない。はてなブログを漁ってみた。なぜかもっと昔に短歌とも呼べないが、短歌の形をとっている作品を発見した。

 

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長く興味を持っていたことは、理解できたが、それを実際の行動に移せたのはつい最近のことである。いつの間にか、私は受け手だけではなく作り手にもなっていた。歌会に参加するようになっていた。1年、そんなに長い期間ではないと思うのだけど、意外にも変化していた。

 

ついでみたいになってしまうが、今の状況でも書いてみようかなと思ってしまう。何の気なしに、書いた記事が1年経って、自分が過去に考えていたことが知れるとしたらそれはとても面白いことだと思う。

 

実をいうと、私は一時期物語を軽視していた。医学論文が世の中で一番良い読み物だと思っていたことがあった。(これがのちにSFにはまっていく要因です)物語なんて読まなくても高度なことが全て記されていると思い込んでいた。

その時期に書いた原稿は、全て意図的に物語にしないようにしていた。しかし、満足いくものは作れなかった。当たり前である。物語を軽視するひとが作品を作れるわけがない。なぜ、そんな思い込みをしていたか。明確な外部的な基準がほしかっただけなのだ。ただ、それだけのために読み漁っていた。

 

よくわからない感じになってきたのでここら辺で。