「言葉を吐き出す」

弟の通っている塾では講師に対して、「死ね」という生徒がいるらしい。発言者は、4年前の私の世代と比較して「生徒の質が変わったのか?」なんて言っている。

 これは質の問題だけではないと思う。いつの時代にも、なぜか人に「死ね」と面と向かって言える人間は存在する。それが、どこで発言し、発散されるのか、という問題だと思う。

 このケースの場合、生徒は塾講師に向かい、「死ね」と発言した。ある意味では、かなり発言者は考えられているのではないだろうか。一般的な塾というのは、金を払うことによって勉強を教えてもらう場所だ。嫌なら辞めればいいだけのところだ。しかし、捻くれた考え方をすれば、金を払っているということは、生徒はお客である。客であれば何をしてもいいとは言えないが、多少わがままとか、嫌味を言っても言い返してこないだろうという可能性は高い。だって、講師からしてみたら顧客が1人減るということは、大変困ることである。塾なんていくらでもあるが、顧客となりうる対象は減り続けているのだから。

 まあ、それは相当売上の悪い塾か、人としてのプライドを捨てて、金儲けの為に頑張っている企業の可能性が高い。高級塾と言われるようなところは、そもそも入塾する為に、テストを実施するところもあるし、入塾するのに許可がいるような場所もあるという。そのような塾で、このケースのような発言をした場合、まあ発言者の生徒は、塾を辞めさせられるであろう。

発言者は、鬱憤ばらしの為に塾講師に「死ね」と言ったのだろうか? そのように仮定するのなら、「水は低い方に流れる」というのがよく当てはまることだなと思う。発言者にとって、塾講師というのは、日常的には付き合いのない人間である。そして、嫌になったら適当なことを言って辞めればいい。そのようなところにしかストレスを発散できないのは、少し悲しいとかそんなことを考えてしまうけど、発言者にとっては、その場所しかないのだろうか。

 ストレスを発散するのって、現代人においては、大変なことなのかもしれない。(過去の方が楽だったとか、そんなことを言いたい訳ではないのだけど、うまく言い表す言葉が見つからない)

分からないことは多いのだけど、場所の選択肢が減ってきているのかな、と思ったり。それはリアルな空間においてなのだけど。インターネットの海は莫大で、どこまでも果てのないような気がするのだけど、リアルな空間ってすごく狭いような気がする。世界は広いとか、いう人いるけど、それは冒険者が言うことだ。冒険者ではない人は、小さな箱庭にこもっていなければいけないような気がするのだ。(いや、これは思い込み)

一人の人間が所属できるコミュニティって、そんなに多くはない。限られた空間の中で何ができるか? という問いが発生するのだけど、それはよくわからない。