お腹が空いた人の話

---人間は祈ることと越境することが非常に好きな生き物だ

 

お久しぶりです、鈴木夢眠です。皆様はいかがお過ごしでしょうか? 街は火急な騒ぎ、身分や思想の違いによる闘争、最悪なことにはなっておりますが……。一1人ができることはたかがしれている。できることというのは何かを意識すること、くらいだろうと思っています。意識の力で多少は変わるかもしれないと泡い期待を持って。まあ実際変わることなんてほぼないけれど。

久し振りに電子データとして一発書きをしている。基本的に何かの作業中に書き留めたものを編集して投稿することが多いのだけれど、なんだか言葉が浮かばなくて書かずにいた。というより文章を書くより大事なことがあるような気がしていた、実際そんなことを期待しても起こらなかったけれども。

電子に一発書きというのは、少し左手の指を画面にスライドさせれば次々埋まっていくし、楽なものだなと思う反面、味気ないと思ってしまう。色々気にしないで書けるけれど、なんだか立体性がない。

 

低気圧、生理前の不快感、純粋な日常に対するストレス。昔はすぐに思想や行動に出ていたような気がするのだけれど、どうやら最近は身体症状に出てしまう。

関節痛、上半身の気だるさ、何かと肉体の痛み。いちいち気にしていたら生活にならないから、適度に解放したり体操をしたりして部分的に追い払っている。昔は思想や気持ちだけで痛みを追い払えたのだけれど、今はどうもそれだけでは払えなくなってしまった。歳を取ったのか、意志が弱くなったのか、むしろ今が正しいのか。皮膚の痒みも逐一鬱陶しい、数値化できないのも余計に腹が立つ。皮膚感覚というのは思想で捻じ曲げたりすることが多かったから、何かとトラブルが付き纏う。外界と個人を分ける最も大切な部位であるからこそであろう。

皮膚というのは非常に重要なものだと思う。外界と内界を分ける最後の砦であるし、よい思いをするのも悪い思いをするのも皮膚が最初に感知するだろう。それだからこそ、長く続く痒みというのは非常に最悪だ。特定の部位とかそういう話ではないから。一応気休めに内服で痒み止めを飲んでみたりもするけれど、莫大な効果があるわけではない。所詮、OTC薬なのだからそこまで効果のあるものは売っていない。まあ仮に効能が強かったとしても、心因性かもしれない事象に効果があるかは分からないが。閑話休題、皮膚は外界と内界を分ける重要なものだ。皮膚というものが存在しなかったら人々は溶けていただろう。個別の意識なんていうものは持たず、共同体として生きていたのだろう。それはそれでよいような気もするけれど、今の状態でよかったなと思う。

 

そういえばある夜、何気に知り合いの話を聞いていたら、人と海についての考察をしていた。少し下ネタな話になってしまうから具体的な話は避けるけれど、まあそれはロマンのある話だなと思った。海と海で元の形に戻れたのかもしれない、一夜限りだけども。

 

ある日、ある人からある記憶について聞いて。元から気になる人ではあったけれど、その時止め処なく興味が湧いてしまった。理性や思想では止められないほどの興味、好奇心は猫をも殺すとは言うけれど。ああ、これは駄目だ、どう転んでも相手を傷つけてしまう。出会わなければよかった、と思った。まだ話が進行したわけでもないのに。

出先で文章を打っているから、ぎりぎりのところで踏みとどまったけれども、これは家で書いていたら湖に沈んでしまっていた。なにも始まってない話なのに、既に強く考えすぎている。あまりにも大切であるが故に。