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さまざまな決断において、長い言い訳もしくは弁明をしたくなったので、文字を綴ることにします。(再掲です、10分だけ何の告知もせずに電子に掲載されていました)

 

・郷里を愛す

3月末をもって、所属している学生劇団を退団しました。(厳密な退団は少し後でしたが)

正直なことをいうと、自分たちの代はもう自分達の卒公しか参加する公演はないし、所属していたとしても、活動することはないのに、なぜこのタイミング? と普通に思われるかと思います。確かにやめたところで何も変わらないし、強いて言うなら、何か活動する時に紹介する肩書きが1つ減ったくらいの話です。

むしろ、普段演劇に関わる中で、メインとして活動している部署も考えると不利益の方が多いくらいです。(備品の持ち出し、使用が多いので)

もっと言えば、所属団体の人と喧嘩したわけでもないし、テクニカルの人として用が有ればいつでも参りに行こうという気持ちもあります。むしろ所属団体のことは大好きです。

尚更意味不明な決断になると思われそうですか、愛があるからこそだと思っています。

とってもわがままな話なのですが、今、この1つ上の代の卒公を終えたタイミングが、最も所属団体を大好きでいられる時間であって、これ以上続けてしまうと、その気持ちは少しづつ薄れていき、好きという感情はあっても今みたいに熱烈な愛はないと思うのです。その気持ちを終わらせないために、所属という形を終える必要があるなと思いました。所属という形を終えるだけであり、関係性を切るつもりはないし、(恐らく来年の卒公に参加します)所属している人達のことは好きです。

愛を終わらせないために、1番美しい状態のところで話を終わらせて、記憶してればいいなんて、とっても身勝手な話だということは自覚しています。無茶苦茶な理論だということも分かっています。それでも、その決断を報告した時に、一定の理解を示してくれた後輩、またそれを風の噂で知り、それでも卒公に参加してくれてありがとうと言ってくれた先輩、それ以外にも関与した皆様には頭が上がりません。本当に暖かい団体だなと思います。所属できて良かったです。こんなわがままで身勝手な人だったけれども、演劇を続けるきっかけになって、それからいろいろなところに出ていけるようになりました。本当に感謝しかないです。



・思い出話

自分は何かに所属するというのが、本当に向いていない人間で、そんな自分が3年も所属することができたのは本当に周りの人達のおかげだと思うし、良い団体だったからこそだと思います。少し参加した公演を振り返っていくことにしましょう。



1年学祭 「妥協点P」

学生演劇として初めて関わった公演でもあり、所属団体で初めましての公演でした。高校時代からなんとなく照明の研究をしているからという理由で照明を選び、そのまま照明部の人になることとなるきっかけになった公演です。

当時、自分は作業の掛け持ちをしていて、別の団体で学祭副代表をしつつ、演劇サークルを含め、5つのサークルに所属するということをしていました。(全て学祭に参加するという団体でした)そのため、本番日も初日のみの参加、準備も中途半端な手伝いしかした記憶がありません。今振り返ると、演劇サークルと別の団体の副代表にせめて活動を絞るべきだったなと思います。(結局、どちらも中途半端な参加になりました)

二兎追うものは一頭も得ず、という言葉は本当にその通りだと思いました。

正直、サークル内で何をしていたかあんまり記憶がありません。他の同期は夏公、夏の合宿を挟んでからの学祭ですが、自分はほとんど初めまして、みたいな感じだったからです。

自分は人もわからないし、何をすればいいのかも分からない状態でした。そして、そもそも大学生になってから初めての学祭。高校の時とは規模も全然違って、他の活動をすることもかなり手一杯でした。

何もできなかった、というのは自分の中でかなりその後も記憶に残って、時間がなくとも知識があれば助太刀ができるのでは? という思想を生みました。(元々理論尊重主義ではありましたが)

いつだったかの稽古か覚えていないのですが、台本解釈をする時間があってそれがとても楽しかった思い出があります。当時は演劇というのは数ある表現手段の一つ、位の認識で演劇サークルに所属していたのですが、少し人と共有しながら何かを進めていくのは楽しいなぁと思いました。

些細なことではあるのですが、ある先輩からきちんと名乗って頂いたことを覚えていたりします。一応、4月から所属はしていたし、新歓の食事会にも参加していたので、全く知らない人っていうわけでもなかったのですが、すごく丁寧な人だなぁと思いました。こんなよく分からない得体の知れない人間でも存在を認知してもらえているんだな、と少し嬉しくなった記憶があります。(前述のように嬉しくなっていたのに、だいたいすべてを知らないことにして雑な返事をしてしまったのは、別の話です)

自分は皆様のことを一方的に多少は知っていましたが(新歓時の印象というレベルの話ですが)、知らないフリをしていました。覚えてもらえていなかったら空回りだし、所属なんてするもんじゃないという主義も持っていたので、最初の良い印象だけで評価するのも怖かったからです。しかし、何度稽古場に足を運んでも人は優しいし、親切だし、途中から参加した自分を浮かないようにと気を遣っていただけるところも見受けられて。まじで良い団体だなと思いました。この人達の助けになれるような活動ができるようになりたいなとも思いました。

できなかった、と個人的には思うところが多くあったけれども、参加してよかったです。



1年卒公 「夕」

照明の人になるんだな、と覚悟した公演だったなと思います。自分の思想したことを先輩に伝え、知りたいことを貪欲に追い求め、それについて答えていただけるという最高の時間を過ごせたなと思います。圧倒的に遠くていつか追い越したいなんて、野望を抱えつつ、なぜこの座組に参加できているんだろうとも思いつつ動いていたような記憶があります。当時は参加したことのある公演も数えるほどでしたが、後々思い返すとすごかったんだな、と何度も思う公演だなと思います。この時の打ち上げで面白い企画の話を聞けたり、次につながることも話せたりと、収穫の多い公演だったなと思います。

よくわからない思い出としては、思想をめぐるくだらない話にやたら人を巻き込んでしまったなと



2年夏公 「モンタージュ」

1番焦っていた時期の公演だったなと思います。というのも、その少し前に入っていたある現場でまじで役に立たなさすぎて気落ちしていたのと、かといって早く照明の人として確立したいという気持ちもあってしっちゃかめっちゃかしてました。それに加えて、演劇とは関係ないことで面倒なことに巻き込まれていて、それもそれでかなり気が重い話でゆとりがなかったなと思います。

早く人の役に立ちたい、その気持ちを他者に押し付けすぎたなととても反省しています。自分は理論が好きな人間なので、動く前に数多くの演算をしてから活動することが多いのですが、一般的には実践が70%くらいの学習効果を占めるそうです。理論というのは学習の10%くらいでしかないのです。自分はどうしても理詰めで考えないと動けないし、体験というのを蔑ろにしがちなのですが、世の中はそうは回っていないのです。




えっと、3公演振り返るだけでこんな文字数になってしまうなんて……。残り4公演については想像にお任せします。きっと電子の海で表現したとしても冗長な話です。いや、一言だけ書くことにしましょう。



2年学祭 「銀河のかたすみで」

忙しすぎて何も覚えていません、人間がみんな爆破してご逝去賜ったらいいと本気で思っていました。(半分くらいのジョークの気持ち)

プランはひどかったと思います。球切れに対応できなかったのは未だに悔しさがあります。

 

2年卒公 「広くてすてきな宇宙じゃないか」

副業でばたばたしてました、いい意味であんまり最後感がなくて爽やかな感じだったなぁと思っています。図形の書き方講座が面白かった思い出があります。

 

3年夏公 「パノラマビールの夜」

今までで一番まともに部署仕事が落ち着いてできたなぁと思っています。3週連続小屋入りしててあんまり記憶がありません。めちゃくちゃ遅刻しまくったのは申し訳ない気持ちしかない。作りたいプランと手が少し追いついてきたかもと思いました。ただ、もっと考えることもできたし、自分の作ったプランがオペをするのが難し過ぎて半分くらいしか成功してないのは悔しかったです。

 

3年卒公 「約三十の嘘」

Twitterで散々えもえも騒がしかったので多くを語ることはやめておきましょう。いつかの精算のようなことをしました。多くを語らない文化というのが存在すると思います。



・抽象的な思い出を語るとするならば

これはまだ仏教における境界(きょうがい)を理解していなかった頃の話。

境界というのは目に見えないことが多いし、それは人の心の持ちよう、なんて言う。そんなものは必要ないんじゃないか、いや必要だと日々考えていた。電子の海の余計ないざこざに手を出しては日常がぶっ壊れていき。暇だな〜、余裕があるなと思った数秒後にはまた関わらなくてもよい事案に手を出したり、よくわからない思想に埋もれたり。そんなことを繰り返しているときに郷里と関わるようになった。

ただの気まぐれだった。憧れもなかったし、意味も意義も感じでいなかった。体験のような気持ちだった。ある時とてつもなく親切な対応を受けて。そこからだったか、その物事の印象が変わったのは。対応してくれた人たちだって数倍忙しかっただろうし、ましてや専門家でもない。でも、そんな中にも確かな対応があって。それにとてつもなく魅力を感じた。いや、礼儀を返したいと思った。そんな理由だったと思う。真剣にやろうと思ったのは。

といっても加減のわからぬことで。悪かった、しかし今はいい人だよね、というのはクローズアップされやすいけれども、それは変な話で。元から真面目な人間も同じくらいすごいわけで。確かに、悪さから立ち直る、というのは難しいし、変わる余地があったというのはその人にも良さがあるけど、最初から真面目というのも同じくらいに尊いもので。今はマシになったなんて、他者に対してならそれは嬉しいことだしとても感謝となるけれど、自己に対しては何の価値も生まないことだと思ってしまう。過去の行動は取り戻せないし、今が良くても結局過去の行いについては、しばしば話の種になったりする。それじゃあ良かったわけじゃなくて、相手が親切で優しいだけだ。

話がそれてしまった、動機は悪くなかったかもしれないがアプローチの仕方が最悪だった。あまりにもあることに拘りすぎた。

人間など信用できるものではないし、神を信じても救われるわけではない。自己を信じても、次の日には何をしでかすか分からない。自己ほど信じられないものはない。自己がどれくらい信じられないか、なんて話は積もるほどたくさんの事例があってうんざりしている。

何かを信じるということはとてつもなく難しくて、人間のことが嫌いな人達にとってはべらぼうに難しい問だった。対応してくれた人たちが人間のことが好きだったのかなんてことは分からないけれども、スタートラインにも立ててなかったと思う。人間性の問題がありすぎた。今も治ってないだろうけど。


すみません、長い言い訳に付き合っていただきありがとうございます。もう思い残すことと言い足りないことはないです、新しい存在になっていますがこれからもよろしくお願いします。

 

休息地にて

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・アトリエの休息

彼女は、彼の庭によく遊びに行った。彼女は他に行くあてもなかったし、何より変わらない風景の庭に退屈していた。彼の庭はアトリエになっていて、画材やら模型やら、スケッチに使う道具で散乱していた。

絵の具の混ざった匂い、デッサン模型として放置されたりんごの香り、窓を開けると外からは若々しい植物の香りがした。彼女はそんな庭の香りが大好きだった。

彼はアトリエで料理もしていて、給湯器から出た熱湯は踊っていて、ある日簡単に作られたパスタの匂いはとても美味しそうなものだった。

彼女はお昼休みになると、自分の部屋で軽くご飯を食べてからいそいそと彼の元に向かっていた。彼女は他に居場所もあったがその場所は居心地が悪く、長く居られる場所でもなかった。そんなところよりは彼のアトリエに出向いて話を聞くほうが楽しかった。

彼は大学でアート系の学部を専攻し、教育に興味があったため、先生と呼ばれる職業についたと話した。好きなことが両方できるからって言って。彼は先生と言われる仕事も好きで、同じくらいにアートも好きで。彼にとっての天職だった。

彼女は彼に憧れていてなんとなく好きでもあった。慕う心と恋心というのは混ざりやすいもので、彼女自身よく分かっていなかった。彼は思慮のある人で、彼女がアトリエに毎日のように押しかけていっても、丁寧にもてなしてくれた。彼女の昼休みというのは彼にとっても昼休みであって、彼も休息を取りたかったであろう。

アトリエでの時間は繊細でとてもやさしいものだった。もうずいぶん前のことだというのに彼女はふとある時に、アトリエで過ごしていた時間を思い出す。そしてあの時、自分に似ている友達がいないとわめいていたことを。彼はいつかきっと見つかるといった。案外その通りでもあったなと彼女は思った。嘘ではなかったけど、そんな簡単なことでもないとぼんやりと思い返しながら。

 

彼らはいつかは光り輝くだろうし、私はもう大丈夫だから

年度末、埋められたものがまた新しく切り替わるための準備期間。数字としては、年末年始というのも切り替わったといえるが、3月から4月になる方が今のことから別のものに移動している感じがする。年度末に考えることが多くなったのはいつ頃からだろうか。子どもの頃はこの時期になると春休みが来て嬉しいと思っていたし、クラス替えも別にそういうものだと行事だと思って、特に何にも考えることがなかったのに。小学3年生の春休み、というのはとてもわくわくしていた記憶がある。4月から4年生になることができて、ようやく高学年の仲間入りだと。早く小学校を卒業したいと思っていたし、当時から中学も高校もいいから早く大学生になりたいと思っていた。大学生になることはできたが、そんなに昔から憧れるほどのことでもなかったと思う。確かに今が1番楽しいというのは事実ではあるが。高校が嫌すぎてこれは懲役3年だなと本気で思っていた。それを知り合いに相談したら、結婚した時にこれは終身刑だなぁと思った、なんてもっと次元の違うことを言われたことはよく覚えている。まあ、今考えれば結婚が終身刑だ、という考え方は理解できなくもないが。結婚は人生の墓場だという人もいるし。


年度の変わり目の季節、複雑な思いになるのは彼女の死を知ってしまったからだと思っている。年度を超えられなかった彼女。年度を超えている私たち。以前、2回だけ年度を超えることをやめようと思ったが、そんなにうまくいくものではなかった。失敗するということは他者から見たら興味のない物語が境界に積み重なっていだけだ。しかし今更終えることは年度途中、何も美しくない。あー、もうそのまま走るしかない、と例年この季節になると思ってしまう。

彼女がどのような思想でそれを行ったかは知る由もないけれども。


年度末の街を眺めていこう、なんてぼんやりと言っていたら、人類は再び脅威に脅かされていた。人類は今回は立ち向かうことができるのだろうか。分からない。成熟されたものは一度破壊しないといけない、なんて昔言われたことがある。それを言っていたのは誰だったかな。どうやら、その人たちは物事を悲観的に考えることが好きなようで。本当は立ち向かわないといけないのだろうけど、言葉を発することは難しくて。何か言ったら変わるなんて思っていた時代もあったことを思い返す。いつから変わってしまったのだろうか。どんどん穢れていくことが分かる。庭だけでも美しく保ちたかったのに、生活が斜めになっていく過程で、庭を守ることも難しくなっていって。だから、言葉を発さなければいけないのに、何を主張したらいいのかも分からない。彼ならどうやって主張するのか、考えるのか? 物語を紡ぐ才能が彼にはある。憧れと好きは混ざり合ってしまうし、街の恐慌とか関係なく前から間違っているのに恐慌を言い訳に予定を崩した。


過度に恐れること、大概の人は死にたくないから行動を取るらしい。どうもその感覚が分からない。積極的に死を望むことはしないとしても、かといって固執する気はない。腐ってしまったら匂いが分からない。いつから腐ってしまったのだろうか。ただ、自分だけが朽ちていくのは難しいことだなと思う。他の生きたいと思っている人たちとも折り合いをつけなければいけない。生きてるだけで絶対何かしらの迷惑がかかると、仲の良い活動家が言っていたことを思い出す。生かさず殺さずのような感覚に浸り。日々は半殺しになっていて。という言い訳を繰り返して。

彼は物陰から街を

とてもお久しぶりです。鈴木夢眠です。 

3月末になりましたね。この時期は1年の中で一番特別だと思っていて、そろそろブログを書きたいと思ってはいました。ただ、きっかけを見出だせずに1年ほどブログを放置してしまったというところです。

マヤ暦の予言が本当になることもなく、案外人はしぶとく生き残ってしまった。(様々な問題は吹き出しているけれども)今年も3月末を迎えてしまった。好きなブログは活動を再開して。様々な言い訳を電子のパレットに打ち込むが、収拾がつかない超大作になってしまい。少し肩の力を抜いて、短文、なんて。おはようございます、お久しぶりです。鈴木夢眠です。耳にはいつもの音を流し込み、耳を鎮めて。

前置きはさておき、本編いきたいと思います。

 

・彼は物陰から街を

人の記憶は案外曖昧なものらしい。少し昔のことだったか、急に連絡が取れなくなった人がいた。思想する暇もなく、彼女との接点は切れて。友達だなんて、思い込みで。

数年が経った頃、ひょんなところで再会することとなった。といっても、気づかぬままに。気付いた頃にはお互いに変わりきってしまった。彼女はより明るく、彼はより思想の海に沈み。といえども面影はあって。彼らは忘れたことにして、それぞれに合った衣を纏っている。

あの時彼女が発した言葉、明確には覚えていなくとも断片的には体内にあって。その箱に合った言葉だったのか、その時の本心だったのか。正反対なさわやかさが今の街には残って。もう忘れてしまったほうが幸せになれる。忘れたことにして。出会わないほうがよかった。相手に悪影響を与えただけだと今なら分かる。物語の一部にしてしまい、海に沈めて。

曖昧さに物語を沈めて、全て知らなかったことにした。

 

・手の甲にデザインを埋めて

身体を動かさければいけない。とかいって、肉体はうまく動かない。これは肉体的疲労? 精神的疲労? どちらだろうか。ぼんやりとした希死念慮、人を朽ちさせていくには充分で。時間を買い、幸せになったことは明らかなのに思想はごちゃごちゃとしていく。期限付きの幸せというのは嬉しいものではないのかもしれない。それでも充分だといって、選択をしたとか言って。

もっとちゃんとしなくてはいけない、それはよくある話。具体的には? と思想を深め、全てがぴったりとはまっていかないことに不快感を覚える。ぐるぐる考えていく内にどうでも良くなって。実態にそぐわない思考、成功体験は人を駄目にする。成功体験なんてないに等しいのに、それらに期待して、行動は生まれない。

過去を切り離して、別人として。そんなことをしていると随分と昔のことを思い返していく。あー、どうしようもならない。ペン先はぐるぐるとして。どうまわってもうまくいく気がしない。

 

銀河の淵

安酒を呷って少しだけ夢を見た。
昔のことが入り乱れるのはいつものこと。そういうのに注視する必要はない。普段と違うところを探さないといけない。何がいつもの夢と違うのか。僕は海を泳ぐ。しばらくすると、意識がブラックアウトしていくのがよく分かる。しかし僕はまだまだ泳げると思っていた。だから、遠くまで泳ごうとした。
泳いでも泳いでも何かにぶつかる気はしない、いい加減に足がもつれてきて、疲れて休憩でもしようかと思ったのに。
溺れないように背泳ぎに体勢を整える。とりあえず無駄なことをしなければ浮くことはできる。幸いにも波はゆるやか。なんとかなりそうだ。
天を見上げる、真っ暗でどこまで広がっているなどわからない。これが僕の世界の1つ。嫌でもたまに見にくる。海は生温く、僕をよく沈める。

昔話、今の事案、どちらかわからないけど泳ぐと少しずつ輪郭を帯びてくる。よく見ようとした。足がもつれる、溺れる、死ぬかもしれないと少し危機を感じる。いや、もうすでに死んでいるではないか。そんなことはどうでもいいと考え直す。

写し鏡のように物語が浮かび上がる。息をうまく吸えないまま僕はその物語に浸る。これは後悔の色味。

僕は無意識に彼を壊していた。受け身になれればいいのに、発言する側になることしかできない。そんな私情のもつれ。もつれる、溺れる。息ができない。悪意などどこにもない、子どもだ、若さしかない。しかし、これは海に漂わせようとも取り返しがつかない話。

と思ったらいきなり引き戻された。誰だかわからないが明らかに人為的。とりあえず息はできる。塩の味しかしないしずいぶん気持ち悪いが。目を覚ます。散らかった室内。無秩序に置かれている臓器の模型。ボールペン、ルーペ、テキスト、狂犬病のチワワ、批評理論、炊飯器、眼鏡、Tシャツ、モチモチのシベリアンハスキー、意識が散乱している。

歪んでいる、少し飲み直そうと彼は思う。いや、少しばかりの鎮痛剤で良いとも思う。彼はいつもの薬品に手をかけ、いつも通りに飲み干す。身体にまわるまでの15分、手持ち無沙汰で銀河の淵を少し切って。痛いような痛くないようなよくわからない感覚に浸される。
薬品が身体にまわる、視界がはっきりとしてくる。不在の誰かを考える。今日は動いていたのだろうと思考する。

とてとて、幼い足取り。つたつた、緩やかに伸びる。水を与えるものはいない。

春の日

時間を戻したい、そんなことをあんまり考えたことはないけれども、もし戻せてしまったら。そんな体験をしてしまった。

あの時あの場所に存在した感覚に、嫌な気持ちになることなく穏やかに戻っていった。

 

 時間の変化で人は変わっていきます。変わることに安堵を覚えますが、変わらないことにも安堵を覚えました。例えば、老舗の料亭の看板メニューの味が毎度変動したら困惑するでしょう。それと似たようなことです、世には変わらなくてもいいものもあるかもしれません。

 

お茶をご一緒しました。どうやら気を遣って、彼の昔の好物を出してもらって。好物というのは変動するものでもありますが、そういう些細なことを覚えていただけるのは少しだけ嬉しいような気もしたそうで。まあ、彼は気のせいだといっているのですが。

 

昔話に花が咲きました。単刀直入に過去についてコメントされたりもしました。関係が浅くはなかったので、それについて嫌な気持ちにはならなかったそうです。彼は昔について深くは覚えていません、しかしそれはエピソード自体を覚えていないだけです、実は感情、感覚は手に取るように思い出せたりするのですが、それを人前で披露することはないでしょう。無意識に避けているのです、これ以上大切な人に余計な迷惑をかけたくはないと。迷惑自体はかけてしまうことはどうしようもないにしても、あまり心配はされたくはないと。

 

覚えていない、というのは罪かもしれません。ずいぶん昔のことですが、一人の人間を深く傷つけてしまったことがあります。彼の身勝手が原因ではあるのですが、被害者というのは、そのことを気にも留めていなかったのです。彼は勝手に後悔し、長い時間を灰色としたそうで。双方が覚えていないと無駄になってしまうんだ、出来事なんて。などと思った時もあったそうです。

 

そんなことを言っておきながら彼も大切なことを忘れていたのです。

「――のこと好きだったんでしょうね」

一人の人間について深刻になりすぎていて、他者への無意識の愛を覚えていなかったなんて。その方とはいろいろな話をしました。当時にしか生まれなかった言葉もあるでしょう。お互いに守るものというのが明確にはなっていなかった頃です、今同じことは絶対に言えないでしょう。まだ互いに不安定さから抜け出せてはいなかったのです。

 「息をするのも面倒くさい、って言ったことがある」

その言葉は当時の彼には衝撃的でした。彼も生きたいとは思ってはいなかったけれども、他にもそんなことを思ってまだ生きている人がいるとは思ってもいなかったからです。彼が尊敬していた人はすでにいない人であり、つまり物語を自分の意志で完遂した人々だったのです。

ある人は彼の言い分にじっと耳を傾けていました。彼は大変すぎる日々から多少は救われたのでしょうか。彼のことを呼び捨てで違和感なく呼べる人などそんなにはいないでしょう。

そんな大切な人のことを彼はあまり意識していなかったなんて、彼は変わった人です。変なところでは律儀です。覚えていたらもう少しは連絡を取ったことでしょう。

いや、違うのです。実のところ彼は覚えてはいたのですが、迷惑をかけまいと、その人の前から去っていたのです。そして、それが長く続き本当に忘れてしまっていた。相手の思い、おせっかいにより、ようやく思い返せたのです。大切だった、ほんのひと時の穏やかな時間を。

 

 彼はある人の思い出話に肯定も否定もしませんでした。覚えていないふりをしても相手は何とかして真意を読み取ってくれるだろうと、甘えたからです。

 

 他愛のない温かみのある時間はあっという間に去っていきました。相手にとっては深い意味を持たなかったとしても、彼の中には雪解けのための言葉として存在し続けるのです。

 

テキストボックス

 少しだけ昔の話、私たちがまだ宇宙だった頃。誰かに捧げたかった言葉。

 

 ふと、物語の断片を拾う。断片なんて言い方は好きではない。でも、それしかうまく言う方法はなかった。断片、まとまっていないもの。未分化のもの。私たちはそれらを拾っている。拾ったものを言葉にする力などない。ただ、溜まっていくだけだ。誰が撒いたものかも分からない。例えば、物語とも言えない何かのひと時。気持ち悪い、受け入れられない、そんなの関係ない。物語は私たちに迫る。選択をと。

特定できない私たちの箱庭。箱庭では長い時間を過ごしている。終わりのない途方もない時間。イメージは言葉にまだなっていない。ただ、時間は流れる。言葉にならないものがずっと溜まっていくだけ。心的イメージはどこへ。

物語る、誰か。私たちの産みだした存在ではない。耳を傾けてみる、穢い言葉。それらが私たちの底だった。箱庭なんてハリボテで、存在しない楽園。同じ絵を繰り返していただけ。物語る何かは日に日に大きくなっていく。穢れている、消えてほしいと思っても真実だけを映している。心的イメージを鏡に映しているみたいだ。それは誰が観測しているのでしょうね。

新しい絵を創り出せばいい。そうすれば真実というのも歪む。都合の良いものになる。今までは、取り残されていただけ。星の瞬く間に、願いを込めて。

 

 箱庭は消え去り、無力な僕だけが残された。星々はいつもと変わらず輝いているのに、僕だけが変わってしまった。断片は味付けされて、添加物をたくさん使い、過剰包装されていた。遠い未来に託すみたいに。僕が信用されていないだけ、僕がちゃんとしていれば箱庭を守ることだってできた。僕は本物の存在であり、偽の存在でもある。どこを信じるかは人次第でしょう。信用するなら信用すればいいし、胡散臭いと思うならそれだけのこと。思い込みの力というのはすごいですよね。どちらにも転ぶことができる。

 

 彼のことを信じることができない。彼が嘘をつかないということは分かっているのに、信じられない。嘘つきの方が信じられるってどういうことだか分からないけど。「嘘つきは泥棒の始まり」とかいう人がいたけど、今は嘘を吐いてもらった方が、よっぽど楽だ。少しだけ、痛みから逃れられるような気がするからだ。一時しのぎでしかないものか、真実だったら、今は一時しのぎでいい。彼の言葉を受けとめる力が戻るまでは、少しだけ夢を見たい。偽物にまみれていたとしても。

 

 箱庭は夢でした。この世に存在するものではなかったのです。宇宙みたいに遠いものでした。誰の言葉が本当だったかなんて、わかるはずないのです。だけど、真実を追い追い求めるものと断片を求めるものが混じってしまった。それは最悪でした。夢にしてしまいたい。全てなかったことにしたい。それを言う暇もなく、全ては消え去って堕ちていった。悲しいんだか、怒りたいんだか、よく分からないです。名前をつけることもできそうにないです。「箱庭」などとありふれた名前でしか呼んであげられなかった。後悔ではないんですけど、ぐるぐるしていて。選択できなかったということ。

 

 誰の言葉でもなく、誰の言葉でもある。覚え書き、fragmentaryな世界観。

おめでたい脳と断片

 人それぞれの人生があるというけれども、それはそれでよく分からなかった。 

 

 先日、5年振りに遠目で様々な方に再会した。イメージと変わらない人や、すごく変わった方。話しかけていない人が大半なので、ガラッと変わった人には気づけていないのだろう。

 彼のことも気にかけていた。友人の友人なので直接的に話すことができないにしても、少し声を聞くことはできた。

 たくさん話した過去の時間を思い返す。毎週のように問題を作っては考えるという遊びをしていた。それを簡潔にまとめると、相談、共有しなくてもよく個人で考えることをむやみやたらに話して、勝手に傷付いていただけのことだ。あまりよくはなかったが、目に見えるトラブルというものを求めていたような気がする。

 僕は、周りの人に乗せられ、暗黙のドレスコードを守った服装を身に着け、中身のない時間を過ごしていた。騒がしい人、話を聞かない人、勝手に言葉から連想されたことをしゃべり続ける僕。混沌としていた、どうふるまうのが正しいのか分からなかった。

 久しぶりに彼と面と向かって話をしようと思った、しかしそれは無理だった。聞きたいことが多すぎて、どこから話すべきか整理できなかった。今時、連絡アプリを使えば話をすることもできるが、それすらも怖い。感情を言語化することはできるし、むしろ連絡アプリを使えば落ち着いて話ができるような気もするが、なぜかそんな気にはならない。一人で、鬱になりそうな曲を聴いて思考し、泣いていたほうがましだ。

 帰ってから、何かから逃げるように、過度の睡眠を取った。どれくらいの時間眠っていたかはわからないが、半日以上は眠っていただろう。やるべき事が終わってなかったので、時間の浪費でしかなかったが、わけのわからない物語を言語化できるくらいには落ち着いた。

 彼は僕の理想の体現だった。持っていないものをすべて持っているように見えた。それは幻想で、彼だって欠けているところがあるのはわかっていたけど、それにすら美を感じた。それくらいとち狂っていた。

 彼のことはもう考えることはないだろう、再会しない限り。会わないほうが僕的には助かる。今だけを考えることができるから。

 おめでたいように、僕だけは同じところにいて変われない。